――――雷鳴が轟いていた・・・。
いや、それとも耳鳴りだったのか。
この身に食い込む鞭の撓りに、身体が捩れる。
抑えようもなく漏れるうめき声。
下卑たヒッタイト兵の笑い声。
誇り高きアマゾネスの世継ぎたるこの身が、身も心もボロボロにされた。
憎んでも憎み足りぬヒッタイトよ。
このヒューリア、受けた恥辱は決して忘れぬ・・・!
我が復讐の刃から逃れられると思うなっ・・・!!
「・・・今宵も泊まり込むつもりか・・・?」
「だって、ヒューリアの容態が心配なんですもの。」
「侍医が薬も受け付けるようになり、大分安定してきたと申していたぞ。」
「でも、まだ意識が戻らないし心配なのよ。」
「だからと申して、そなたが泊まり込んで良くなるものでもあるまい。」
「それはそうだけど・・・。」
「夜はちゃんと寝所で休め。身体が保たぬぞ。・・・わたしにいつまで独り寝をさせる気だ?」
「あら、メンフィスの寝所で寝たって休めないのは同じ・・・きゃっ。」
「こやつめっ。こう毎晩独り寝では、わたしの身が保たぬと申しているのだ。」
「あ、ダメよ、ダメよ、メンフィス。あっ・・んんっ・・。」
・・・・・・・・・。
――――なんだなんだ、この状況は?
悪夢から目覚めると、あまりといえばあまりな状況にヒューリアは自分の正気を疑った。
――――夢か?
いや、このわたしがこんな軟弱な夢など断じて見るはずがないっ!
では誰かが、不届きにもこのヒューリアの傍でいちゃついているという訳か?
・・・なんという無礼者っ!
一言文句を言ってやらねばならぬ。
・・・ああ、でも。声が、声がまだ出ぬ・・・。
ヒューリアの意識は再び闇の中に沈んでいった。
数日後。
「ああ、ヒューリア、気が付いてくれて本当によかったわ!毒蛇事件は恐ろしかったけれど、あなたが気が付いてくれたことは不幸中の幸いよ。」
にこにこと微笑みながら目の前に座るナイルの王妃の声は、明らかにあの晩聞いた声だった。
――――では、あの晩、ここにいたのはファラオか。
エジプト国王夫妻が揃って、わたしの部屋でいちゃついていたというわけか!?
助けてもらった恩はあるが、腹立たしきことに変わりはない。
むす、とふて腐れていると侍女たちの声が聞こえた。
「まあ、なあに?ヒューリアさまのあの態度。姫さまがこんなに親身になって下さっているのに、あんなにふて腐れて・・・。」
「ほんとよね。姫さまに失礼よね。」
――――何を言う。
夜中に病人の、しかも国賓の部屋でいちゃつくのは失礼ではないのか?
おまえたち、自分らの国王夫妻の所業を知らないな。
そうは思うが声は出ない。
まだ声を出すのは苦しいし、苦しい思いをしてまで言うべきほどのことではない。
だから黙っていた。
侍女たちはこそこそ何事かを話していたがやがて静かになった。
「・・・キャロル。いい加減にせぬか。ヒューリア殿は意識も戻り、危機は脱したと聞いたぞ。もはやそなたが泊まり込む必要もあるまい。」
「でもまだ心配で・・・。」
「ヒューリア殿の心配よりわたしの心配をせぬか。もう何日、そなたを抱いておらぬと思っている?」
「あ、や、やめて、メンフィスったら。」
「やめぬ。そなたがどうしてもわたしの寝所に参らぬと申すなら、ここで抱いてもよいのだぞ。」
「そ、そんな、あ、んんんっ・・・。」
――――またか。
ヒューリアは、うんざりしながら目覚めた。
これでは付き添われても返って迷惑。安眠妨害だ。
しかもこのままでは、この場でコトに及ばれてしまう可能性もある。
さすがにそれは勘弁してくれ、と一言、言ってやるつもりで天蓋を覆う紗に手を掛けた時だった。
「やめて。メンフィス。ヒューリアがいるのよっ。」
「ふん。身動きもままならぬ病人など、いたところで部屋の置物と変わらぬわ。」
――――な、なにいっ!?
このヒューリアを、誇り高きアマゾネスの世継ぎを、言うに事欠いて置物だとお〜〜!!
いかにファラオといえど許せぬっ!!
男はやはり嫌いだ!!馬鹿だっ!!
今度は怒りのあまり声の出せないヒューリアを尻目に、ファラオはナイルの王妃を抱き上げて、意気揚々と部屋を引き上げていった。
翌日。
「ヒッタイト兵にあれ程痛めつけられたんでもの。骨は?筋肉は?大丈夫かしら??」
心配そうにヒューリアの腕を持ち上げるナイルの王妃の腕を腹立ち紛れにギリリ、と掴むと周囲から非難の声が轟々と上がった。
――――ふん。
置物扱いされたのだ。このくらいはかわいいものよ。
当の王妃だけは、大丈夫ってことね、とにこにこ笑っている。
――――本気か?この王妃。
見た目はこの上なくかわいく美しい。
黄金の髪も蒼い瞳も透けるような白い肌も、さすがは神の娘よ、と感嘆したものだ。
親身になって看病し、もはや死を覚悟したこの身を助けてくれた。
それは感謝している。感謝しているが・・・どうも素直に喜べない。
なぜか腹が立つ。
・・・そうだ。この場違いなほどの人の良さだ。
なぜ大エジプトの王妃がこうも人の良さ丸出しに振る舞う?
警戒心の欠片もない、この無防備さに腹が立つのだ。
だから、夫とはいえ男などに甘く見られて、夜這いを掛けられたりするのだっ・・!
ヒューリアは腹立ちのためますます無口になった。
そんなヒューリアを非難する侍女たちの声が喧しい。
――――ふん、勝手に言ってろ。
ヒューリアはふて寝を決め込んだ。
「ああっ、ヒューリアッ!歩けるようになったのねっ!!」
運河祭りに出発する日、満面の笑みで駆け寄ってきた王妃の手をヒューリアはぞんざいに払った。
見るからにか弱い王妃に手を取って労られるなど、ここまで回復した誇り高い女戦士にとって、気恥ずかしい以外のなにものでもない。
あくまで照れた末の行為だったが周囲はそうとってくれない。
王妃様になんというご無礼を、という眼差しの中、ヒューリアはふん、と鼻を鳴らして舟に乗り込んだ。
やはり当の王妃だけがにこにこと笑っていたのが、ヒューリアの癪に障った。
――――補佐ザルプワッ!
必ず復讐すると誓った男が目の前に現れた時、ヒューリアは視界が白熱するほどの怒りを覚えた。
――――なぜ、この下エジプトの王宮にっ!
あいつが動いているということはケツシ将軍が裏にいる。
・・・また陰謀を巡らせているのかっ!
おのれ、この手で斬り殺してくれるっ!!
「ファラオッー!なにをしておられるっ!ヒッタイト兵が祭りに潜入しているぞっ。出あえーいっ!!」
大声で叫んだヒューリアの声に反応して周囲がざわめき出す。
ナイルの王妃のお姿が見えませぬ、と女官長が駆け込んできたのがほぼ同時だった。
一斉に四方へ逃げるヒッタイト兵。
ヒューリアはすかさずザルプワをナイルの川辺へ追い込んだが、惜しくも逃してしまった。
――――くっそう、まだ体力が戻らぬかっ!
ヒッタイトめ、馬鹿が付くほど人の良い、あの王妃を浚って王妃に恋着しているというイズミル王子にでも宛うつもりかっ。
ええいっ、だから言わぬことではないっ!
あのようにあけっぴろげで無防備だからイズミル王子などにつけいられるのだっ。
ヒューリアはぷりぷりと腹を立て、侍女たちが慌てふためくのも構わず、アマゾネスの戦闘衣をさっさと着込んだ。
「ファラオッー!わたくしもまいるっ。わたくしを看護してくれたナイルの姫の危機ぞっ!男などに任せてはおけぬっ!」
あっけにとられる周囲を尻目に、ヒューリアは馬に飛び乗った。
――――ナイルの姫よ。
御身に受けた恩義により永らえたこの命に賭けて、御身を必ずお救いしよう。
そしてそなたを助けたあかつきには、二度とファラオに夜這いなど許さぬよう、イズミル王子につけいられぬよう、このわたくしが強い姫に教育して差し上げようっ!
雄々しくもはた迷惑な(?)決意を固めて、ヒューリアは砂漠の果てに逃亡者の土煙を見つけ出すべく、力強く馬を疾駆した。
Fin
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