chapter 4
〜王妃の宴〜
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「おまちどぉ〜!!お姫様よ〜っっ!!!うわっ!!!!」
ちょっと得意げに足取り軽く広間に戻ってきたハサンは、慌てて口にした言葉を飲み込んだ。
非常に間の悪いことに、国王夫妻の「例の」熱いキスの真っ最中だったのだ。
ぎろりと心臓を突き刺すかのようなメンフィスの怒気をはらんだ眼光がハサンを凍らせる。
(し、しまった〜〜!!!!!!ファラオっっ)
広間の入り口に固まったハサン
メンフィスの異様な不機嫌さは明らかに自分に対してのものだ。
馴れ馴れしい口ぶりが逆鱗に触れてしまったのかもしれない・・・!!
いや・・・・「かもしれない」どころではないだろう。
王の最愛の妃との最高の雰囲気をぶち壊してしまったのだから・・
メンフィスがおもむろにこちらへ体を向ける
手には愛用の長剣が
(ひっ・・ひっ・・・・ひぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ〜〜〜っっ!!)
脳天から血がざぁぁぁっっと一気に引き、正直倒れるかと思うような感覚が襲った
(お、おれ、もしかしたら今日までの命かもしれねぇっっっ・・・・)
「あ、ハサン! ハサン、出来たの?」
「・・・・・・・・・(蒼白)」
「? ・・・・・どうしたの?」
「え・・いや、・・・・・・・・・・その・・」
硬直したままたたずむハサンにキャロルはいぶかしげに小首をかしげて声をかけた。
するりとメンフィスの膝の席を立ち上がり、トテトテとまっすぐこちらにやってくる。
小さな手をのばしてつい・・と彼の腕を引っ張った。
(いっっ!!!)←縦線真っ青ハサン
「お、お、お姫様っっ!!」
「ねぇ、・・・まさかなにか問題でもあったの?なに?どうしたの?」
(・・・・ありすぎですぜお姫様〜〜っっ ここでそんなに親しげに触れてこないでくださいよ〜っ!! め、メンフィス王に殺されちまう!!!)
目の前で、服も引っ張らん勢いで自分によりつくキャロルの対応にハサンは大いにうろたえた。
心配そうに小声ですがり聞くような姿勢にどう対処してよいか頭が真っ白になる。
なんという恐ろしい無邪気さか・・
ナイルの王妃へのメンフィス王の熱愛・執着ぶりはあまりにも世に有名だ。
しかも以前以上にお妃様への「べたぼれぶり」はエスカレートしている気がするのだ。
いまや王以外の男が近づこうとするだけで死罪に匹敵するとささやかれているというのに・・・
「・・・・・・・〜〜〜っっ」(流れ落ちる大汗)
現に―――――
まっすぐキャロルの後方でこちらを見据えるメンフィスの視線は既に地獄の火をしょった矢のようだ。
(ちょっとはさっして下さいよ!お姫様よ〜〜っっ)
困ったことにキャロルはそんなことには全く気づいてはいない。
いつもと変わらぬフレンドリー(?)。
「なにかトラブルでもあったの?」
「い、いや・・大丈夫ですぜ。お姫様、と、と、とにかくすぐ『王と一緒に』バルコニーへ行って見てくだせえ。そんなに長くはもたないんで、ほ、ほら、例のものは『ファラオ』に是非ともお見せしたかったんでしょう?」
ことさら最後の台詞は叫ぶかのごとく大きな声で告げた。
そう。メンフィスに聞こえるように。
ほとんど命乞いの心境だ・・・・
「さあ、いそいでくだせぇ。」
「そうなの?じゃあうまくいったのね??」
「も、もちろんでさぁ!」
キャロルはぱんっと両手を組み合わせ喜んだ。
「ああよかったー♪ちょっと心配だったのよ。 メンフィス!メンフィス!ね、ね、ちょっと一緒に来て!!」
ふわりと豊かな金の髪をたなびかせて、一目散にメンフィスのところまで駆け戻ってゆく。
当然のように両手をひろげてキャロルを抱きとめる王。
キャロルは嬉しそうにはしゃぎながらその広い胸の中に飛び込みメンフィスの耳元になにやらささやいている。
首筋に細い腕をからめ、輝く笑顔で。
彼の為だけの、他の誰にも見せないキャロルの美しい微笑みに見つめられ、ようやくファラオの口元に微笑が戻った。
キャロルの導くままゆっくりと立ち上がり、自分の肩衣でキャロルを包むようにしながらバルコニーへ向かう。
その様子を見送って、やっとハサンは喉につまっていた息をへなへなと吐き出した。
(そうそう・・・そうやってファラオにおもいっきり甘えておいてくだせぇよ。誰にでもお優しいのはわかるんですがねぇ・・状況も考慮してくれねぇと・・・・はぁぁぁ・・・・心臓に悪いぜ)
「なんなのだ?そなたの『よいもの』とは・・・?」
「うふふふ・・・・それは見てのお楽しみよ。今日の『宴』のハイライト♪うまくいってるといいのだけれど」
バルコニーへいざなわれ、涼しいそよ風が二人の肌をなぶった。
「ここの下に・・・・・・・・うわぁ!・・・・綺麗!!!!」
「・・・・・ほぅ・・!!!!」
ナイル川をのぞむ回廊、対面の宮殿のバルコニー、庭の通路各所・・
小さくきらめく灯火の明かりが列をなし眼下一面に輝いていた。
小型の灯明が連結されて吊り下げられ、またあちこちから重なるように長くつらねられている。
その火はちらちらと揺らめき、水面にも無数に反射して輝いていた。
キャロルの設計した小さなランプ
金属の受け皿に油をためて灯心を差し込んだ、ごく単純なオイルランプだ。
一体いくつあるのだろうか。
ハサンが鍛治職人たちへ注文を出し、それらの運搬、取り付け手配まで一手に統括してやってのけた。
製作はもちろん、一つ一つ火をつけていくだけでもかなり大変なことだっただろう。
だが作業にかかった者たちの顔は晴れ晴れとしたものだった。
達成感とでもいうのだろうか。
互いに肩をたたきあい、振舞い酒で祝杯をあげている。
最初は本当にわけが分からなかったが、出来上がったそれを見上げて、思わぬ美しさに皆誇らしげな笑みを浮かべていた。
それは天の星が地上に舞い降りたかのような美しさ。
力強い松明の火とは全くちがう、はかなく繊細で幻想的な光景だった。
黄昏時の残照が天空から消えて行くほどに、その眼下のきらめきはいっそう美しく映えてゆく。
「これは・・・・・なかなかに見事ではないか・・。」
「ええ。もう大成功♪本当に綺麗・・!!電気の明かりのイルミネーションよりずっと素敵だわ!!」
「なんだ?・・・イル・・??」
「イルミネーションよ。(^^)」
「?????」
「―――わたしの生まれたところではね、こんな風に街なみに明かりを煌かせていろんな所が飾ってあるの。とってもロマンチックなのよ。この古代エジプトでもそれをみんなに見せてあげられたら・・と思って・・・」
「そなた・・・先日から何やら職人らとたくらんでいたのはこれだったのか?」
「たくらんでだなんて・・みんなをびっくりさせたかっただけよ。やっぱりパーティにはサプライズがなくっちゃ。・・ねぇ、どう?」
「ふむ・・悪くはない。珍しくねだりごとをするゆえ何を買うのかと思ったが・・・」
「・・・・その前に無理やり莫大な費用を押し付けたのはどこの誰よ?『何でも良いから即刻好きに使え!一度も使わぬなど許さぬ!』だなんて・・・・・。もうこれ以上『王妃の為の諸費用』なんてわざわざ毎年の国家財政項目につけないで。お願いよ。」
「―――そうはゆかぬ。そなたはこの私の妃だぞ。」
「でも、奥宮殿の生活は何の不自由もないもの・・・・・これ以上は無駄だってば・・。 ・・わたしは宝石も黄金も高価な服もいらない・・貴方がそばにいてくれればそれでもう何もいらないわ。だからもっと他の必要な事の為に・・」
「思い悩むなら、このように・・そなたの思ったことをどんどんやってみればよいではないか。」
「・・・・思ったこと?」
「わたしの賢妃の願いはいつも自分以外の所にあるからな。・・・権勢に決しておぼれることのないそなたならば安心して任せられるだろう。民のために・・国のために・・いざ何かをするにはそれなりの力が必要なものだ。自分の采配でいつでも自由に動かすことができる財力がある方が何かと迅速に事は運ぶ。無駄だと感じるならばそういう費用だと思えばよい。どうだ?」
「・・・・・・・・・・」
「この明かりの趣向もなかなか良い。今後は祭りごとに飾らせよう。宮殿にも、神殿にも・・。すこし改良すればさらに美しくなるだろうな。この光景はテーベの名を一層高めることであろうよ。」
「メンフィス・・」
「たとえ遊戯でもかまわぬ。それで何かを成すことを覚えてみよ。全ては経験だ。慣れれば自然と人の動かし方も上手くなる。大勢の人間を使えるようになれば事も容易に動く。行いようによっては世の経済をも動かすことにもなる。あの費用はもともと全てをそなたの贅に尽くしても一向に構わぬものだ。全て無に帰したところでわがエジプトにとって何の問題もない。民に分け与えたければそうしても良い。・・・・・・・どんな形になるにせよ、そなたのことだ、色々な意味で良い結果になると思うがな。そなたは必ずそなた一人の楽しみだけでなく、皆の為に行動しようとする。・・今回の事がいい例だ。」
「そ・・んなことないわ・・・・・・かいかぶらないで・・貴方が何をしてもいいって言ったから・・・・これだって・・ほんのただの思いつき・・」
「思いつきでもかまわぬ。」
「でも・・・・・だってこれは・・」
しばらくの沈黙・・・ほんのり赤くなったキャロルの頬。
ぱくぱくと時折口を開くものの、なかなか次の言葉がでてこない。
メンフィスはキャロルの顔を覗き込んだ。
視線が合うとますます白い肌に朱がさしてゆく。
「・・げ・・・現代の世界ではね、夜も沢山の人が自由に街を出歩いていてね、こんなふうな綺麗な夜景をみながら・・・」
と、そこでまたキャロルは一層赤くなって口ごもった。
「こうやって・・・・ね、・・・一緒に・・・」
おずおずと、細い指がメンフィスの手に触れる。
からまる指先
こつん・・とキャロルの頭がメンフィスの胸に寄せられた。
心得たようにメンフィスの腕がキャロルの体に回される。
「・・・・ふん・・・なるほど。・・・・・・・こうして時を過ごすというわけか」
小さくキャロルの頭がうなづいた。
くしゃりと髪がなぜられる。
かすかな笑いを含んだメンフィスの喉の奥―――
あきれたような・・・それでいてくすぐったいほど嬉しがっているような・・・苦笑
「いちいち其方はまだるっこしいことをする・・・このような遠回りをせずとも・・愛して欲しくばいつでも愛してやる。遠慮せずにすぐに甘えるがよかろう。」
「だって・・・・『デート』なんて絶対貴方とはできないんだもの・・・・ダンスパーティーだって無理にきまっているし・・まねっこだけでもいいからやってみたかったのよ。本当にそれだけなの。かいかぶらないで・・・・。」
「デ・・??・・・・・ダン・・?何だ?」
「デート♪」
「・・・・・なんだそれは?わたしに出来ぬことだと?申せ!一体それは何だ?私に出来ぬことなどなにもない!!」
「くすっ・・・だって・・・根本的に私たちには無茶な話だわ。でもね、いいの。とっても楽しかったわ。・・・これでもう・・もう十分。」
「なにを申す!そなたの望みなのであろう?よし、では『デート』とやらをやろう。まず何をすればよいのだ?」
「もう・・メンフィスったら」
「笑っていないで教えよ!!キャロル!!」
「・・・―――――じゃあ貴方の大好きな食べ物ってなぁに?」
「!」
「そっちが教えてくれないなら、わたしも教えてあげな〜い!」
「・・・・・・・・・・・キャロル・・・・・!!!!」
互いの瞳を覗き合い、・・・・そして同時に噴出した。
「ふふふふっっ」
「・・・・こやつめ!!」
幸せそうにキャロルはメンフィスにもたれる。
「ただ・・見せてあげたかったの・・・。もちろん、みんなにもだけど・・誰よりも貴方に一番。・・・・・なんだかふわっと心が躍るような気がしない?」
「そうだな・・・。」
「この雰囲気が欲しかったの。本当にただそれだけなのよ。みんなの為だなんて・・そんな大きなことはちっとも・・・・・」
「それでもよい。・・だから・・・・・かまわぬから自由にやってみよ。そなたの思うままに。」
「・・・・それは・・・命令?」
「・・ああ・・・・・・そうだ。・・・・その方がそなたにとって気が楽になるのならばそう言っておこう。」
「傾国の王妃になるかもしれないわよ。だって・・わたしってば問題ばかり起こしているもの・・なにかの拍子に・・・」
「心配要らぬ。」
「・・・・・どうしてそう言い切れるの?」
「たとえ何か起こったところでどうということはない。そなたがわたしの腕の中にいる限り。」
ぽんぽん・・と、黄金の頭をからかい気味に叩き、目をむくキャロルにメンフィスは得意げに言う。
「そなたにわたしの国を揺るがせるはずがなかろう?はねっかえりが足元でちょろちょろと何をしようと痛くも痒くもないわ。」
「だ、だから!・・・そうとは限らないでしょう?自慢じゃないけど何をしでかすか分からないんだから!それに・・ちょ・・ちょろちょろとだなんて失礼な・・・!!」
「ふん!悔しければわたしを大いに驚かせてみよ。」
「!」
「大丈夫だ。」
「・・・・共に・・この国を守ろうとする限り・・・な。・・・・・・任せよ。」
ぎゅっと抱きしめる腕に力が加わる。
(わたしはエジプトを守ろう・・・そして・・・・・そなたはエジプトをはぐくむのだ。自由に・・おおらかに・・)
きらめく光景に宮殿のあちこちから華やかな歓声があがる。
王妃が王宮の庭に星をふりまいたと・・・・
歌になり
踊りになり
いつまでも・・・・・・・
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人を豊かにする文化や芸術は、神事のほか娯楽も起源となることが多い。
宴の音楽、踊りに絵画、狩りに舟遊び・・・
より巧みになれば、それはやがて次の文化の基礎に、または技術に発展する。
ありとあらゆる文化が後の世に影響を及ぼすものだ。
―――古代エジプトの高度な文明の裏にナイルの王妃の貢献があったかどうかは不明である。
Fin.
愛の奥宮殿へ