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イェリコ



「キャロル!!・・・しっかりいたせ!おぉ、わたしはどうしてやればよいのだ!」
「失礼致します!ファラオ、ハサンをつれてまいりました!」
「王、いかがなさったんで?」
「すぐに熱さましの薬を調合いたせ!夜明け前からまた高熱になってずっと下がらぬ!!なんとしてもすぐ楽にさせるのだ!!急ぎ処方せよっ!!」
「なっ?! お、黄金のお姫様!! あぁっっ!なんてひどい顔色だ・・・!」

イェリコの町にたどり着いて2日目、順調に回復かと思えたキャロルの容体が急変した。

もともと、猛毒のジギタリスにより瀕死にまで殺ぎ落とされていた体力だった。
メンフィスの脳裏にあの光景がよみがえる。
アッシリアから風砂の砂漠を駆け抜けた強行軍
流砂の前でのイズミル王子とのぎりぎりの駆け引き・・・・
頑強な男でも息が出来ないほど、激しくたたきつける強風と砂塵――――――
だが、追っ手を撒くため、その足を緩めるわけにはいかなかった。
悪条件が容赦なくキャロルを襲うのを、身体を張って、ただ強く抱きしめてやることでしか守ってやれなかった・・・・

――――――早く・・!一刻も早くイェリコへ・・!!!

衰弱したキャロルを腕に抱き、休む間もなく、とにかく全速力でここまで走破したのだ。
それは屈強な兵士でも根をあげかねない無茶な行軍。
そんな馬上であれほどの長時間、弱った体を激しく揺さぶられつづけ・・・
さぞ苦しかったであろうに・・・・・・
なのに・・・・あの極限状態の中で・・・・・・
それでもそなたは私に向かって微笑を浮かべていた
幸せだと・・・そう言って・・・・・

夕べもそなたは笑っていた・・わたしの腕の中で・・・我が側を離れぬと約束をして・・・
そのあと張り詰めていたものが切れたかのようにそなたは眠っていった・・・・
安堵した微笑のまま・・・・
だから・・わたしは・・こんなにそばにいて、今になるまで、ぶり返したそなたの高熱に気づかずに・・・・

緊張の糸がきれたとたんに、既に体力の残っていなかったそなたを襲った猛毒の破片。
まさかこれほどの威力をもっていようとは・・・・・
確かに私は安心しきってしまっていたのだ。そなたの微笑みに・・愛しさに・・
腕の中で眠るそなたの感触に酔いしれて――――――
当然すぐにでも気づいてやるべきだったのに・・

「・・・メンフィス・・だ・・いじょう・・ぶ・・・・よ」
「キャロル!気づいたのか?!」
「ごめ・・ん・・な・さい・・・・また・・・心配・・かけ・・て  ごめ・・」
「もうやめよっ・・! そのようなこと口にせずともよいっ!!」

途切れがちに吐き出される言葉は、今にも薄い音をたてて壊れてしまいそうな、いじらしい細い声・・
いっそ、苦しいと叫びつづけられた方がまだましだ。
一言の弱音も吐かぬそなたに・・・何の救いも差し伸べられぬわが身が呪わしい・・・・
昨日よりもさらに高い熱にうなされ、すでに水すら喉をとおらない。
無理に口に含ませても、胃にはいったとたん反射的に吐き気をもよおしもどしてしまう・・。
昨夜はもちろん、状況から考えてみて、アッシリアにいた時からろくに何も口にはしていなかったはずだ―――
まさか・・・・、まさか このまま・・・・!!

「いいやっ!!!そんなことはありえぬっ!!」



冷たい氷に心の蔵を鷲づかみにされたかのような痛みがメンフィス胸が締め付ける――――――苦しくて、襲い掛かるこの不安の先を考えたくなくて、恐ろしくて・・・
恐ろしい・・・?
この私が・・?
恐怖・・・私にこんな感情を引き起こさせるのは、そなただけだ・・キャロルよ

夜明けの空は白光に飲まれ、既にすがすがしいほどの青空となって広がってきていた。
―――そなたと同じ、透明な青・・・
キャロルはいまだ熱にうなされ続けている。先ほど、吐き気のため口にするのもいやがるキャロルにやっとのことで薬を飲ませたばかり。
目の前に広がるさわやかな青空も、メンフィスのうつろな目には輝き映ることはなかった。

(そなたは・・・未来がよめる・・
その瞳に暗い闇の未来が見えたら・・そなたはいったいどうしていたのだ?)

(考えたくない未来が映ったら・・・・・・・・・)

振り切るように朝日に背を向け、キャロルの側に戻る。
荒い息は相変わらずだった。
「!」
突然裾を掴んだちいさな指に視線をおとして声を失う。
「キャロ・・!!!!」
真っ赤な瞳。
ギョッとするほど異様な赤だった。
瞬時にザワリと背筋が凍りつく。
青い瞳をとりまいている血管が熱のために充血して、そんな風に見えたのだ。
異様なさまに思わず息を呑む。
その痛々しい瞳をこちらに向けて、ゆっくりかすかに唇が動いた。
あまりに小さな声のため聞こえない――――――

「なんだ?なにが言いたい?」

食い入るようにメンフィスは凝視する。一言だとて聞き逃したくはない。
キャロルは一度瞳を閉じ、歯を食いしばって、しぼりだすように口を開いた。

「・・・・・・どこへも・・・いかな・・い・・で・・」
「一人に・・しないで・・・・貴方がいなく・・なるのが一番・・怖い・・おねが・・い・だから・・」
「・・・そばに・・いて・・」
「メンフィス・・・メン・・フィ・・・・」

キャロルのか細い、かすれた声。
苦しい息の下から自分の名を呼んでいる
絶えず襲う苦痛と一緒に、悲しさのまざった涙まで浮かべて・・・・・・

「―――心配いたすな・・ここにいる!!。ずっと・・こうして―――だいじょうぶぞ。安心致せ。この私がそなたを離すわけがないではないかっ!」

愛しくて、いじらしくて、胸を引き裂くような痛みにたまらなくなる・・・
それ以上、もう言葉になどならない
おお、この気持ちをどうやったらそなたに伝えることができるというのか!!!


細く痛々しいその白い指を両手で包みこみ、ただ、この愛しい者の名を呼びつづけた・・・・
何度も・・何度も――――――
「キャロル・・キャロル、キャロ・・・っ!!」
伝わる高熱にあせりがつのる・・・時間だけがじりじりと過ぎて行く。
今はもう薬の効果を待つ他に、もはや なすすべもなく・・・・・

(このままこれ以上容体に変化がなければ―――)

その先は誰も口にすることが出来なかった。
ギリ・・・・ッ
メンフィスのかみ締めた歯が鈍い音をたてる。
その背中越しに、一人二人とこの場からそっとはなれていく・・・
ファラオの悲痛な様子にいたたまれなくなって、側を離れる召使達。
しばらくして重い静寂が部屋に広がった。
ただ、キャロルの苦しいあえぎのみを残して・・・・・・

誰もいなくなった後、メンフィスはキャロルの柔らかな頬をなぞり、苦しそうな息を繰り返す喉に唇を添わせ、毒を吸い出すかのように口づけていった。
この苦しみ・・・・代われるものなら代わってやりたい―――
そなたは私の望むただひとりの妃。そなた以外の誰にもこの私をうけとめることはできぬ・・・・・!!
それに――――――
「――――――もはやそなたなしに・・生きては・・・・いけぬ・・・・わたしは・・・」
「―――わたしは・・・まだ、そなたに触れてもいないのだぞ!!わかっておるのかっ!!・・なぜ・・・なぜ思い通りにならぬ?! こんな・・・そなたばかりが、なぜ苦しまねばならんのだ! まだまだ・・もっともっと・・そなたは―――」

ギュッと小さな身体を抱き寄せ悲痛に叫ぶ

「―――そなたを愛したい・・・気を失うほど愛してやりたい・・・・・・そなたの幸せはこれからなのだぞ!!」

昼も夜も片時も離さずに・・愛して・・・愛して・・―――気も狂わんほどに・・・

「こんな熱に・・決して負けてはならぬ・・・・!!」

覆い被さるように小さな身体ごと胸に抱きしめ、キャロルの汗ばんだ衣装を引き抜いた。
ふわりとあらわれる愛しい者の柔肌―――
体中をかけまわる熱で白い肌が赤く浮き上がっている。
肌の下の血管まで透けて見えそうなほど・・。
自然とゴクリと喉が鳴る・・・・・

「何処にもいかせはせぬ。一人になどさせぬ。」

自分の肌をそっと重ね合わせ、慎重に抱き寄せた。
なんと熱い・・・・・燃えているようだ

「キャロル?聞こえておるか?・・わたしはここにいるぞ・・すぐ側に・・・キャロル!!」

(・・・側に・・いて・・――――)

それが・・そなたの望みなら・・・
せめて、誰よりも側についていてやりたい。ただそれだけだ。
更にきゅっと力をこめて引き寄せる。自分の中で荒れ狂う獣を押さえつけるようにそのまま唇をきつくかみしめ、柔らかな黄金の髪の中に顔をうずめた。

大切な・・大切な・・・私のキャロル・・・
愛しい我が魂の半身
私をおいて逝くことなど許しはせぬ!

(こんな思いはもうたくさんだ!!神よ!!どうかキャロルを・・・!!)

祈るように握り締められた指のかすかな震え・・・

「決して・・・・・・で・・は・・ならぬ・・・・・・・キャロル・・・っ!」


―――――――――何かがポタリとキャロルの頬に伝い落ちた・・・




2001年 「ししぃの館」投稿作品




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