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イェリコ



イェリコは死海の北、ヨルダン川の流れ込むほとりに位置する。
川の水が町に縦横に引き入れられ、砂漠を駆け抜けて訪れた者たちをゆったりと潤している緑の町だ。
キャロルが運び込まれた場所も、その豊富な水が引き込まれて作られた泉のある屋敷のひとつだった。
夜明けから随分時間がたっている。
よく晴れた雲ひとつない快晴の空が眩しい。
きらきらと反射する水面の光がこんもりと茂る椰子の木陰をガラス細工のように照らし返している。

「そなたの好みそうな場所だな・・・・・」

テーベの宮殿で幾重にも重なる木立のあいだをくるくると駆け抜けはしゃぐキャロルを思い浮かべていた。
それは眩しいほど懐かしく美しい光景・・
キャロルの澄んだ笑い声がひびいていたあの庭園。
ずっと見つめていたいのに、視線に気づくと覆い茂る木々にふぃと隠れてしまい、よく私を苛立たせたものだったが・・・。

「そういえばそなた・・隠れ鬼の名人だったな。―――いつだったか、庭の中で本当に見つからなくなって随分あせったぞ。」

またしても逃亡したのかと思い、かつて宮殿中を探し回ったことがあった。
あの時は、こんな風な泉の木陰で、一人気持ちよさそうにうたた寝をしていたそなたを見つけて、あっけにとられたが・・・・。

「キャロル・・・・」

ぐったりと力なく、されるがままのキャロルを覗き込む。
あの日の輝きは見る影もなく、喉を締め付けるかのような息のかすれが痛々しい。
細い身体は以前にもまして痩せ、腕にかかる負荷のあまりのなさにメンフィスは秀麗な眉をひそめた。

―――せめて少しでも熱がひけば・・・・・・・


  サラサラサラ―――――――・・・・・


うつろな視線の先に冷たいしぶきを上げて流れ落ちる泉が目に映る――――――

「・・・・・・」

ちょうど木陰になっている水際に階段状の水底への足場があった。

パシャ・・・・

ためしに足を踏み入れてみる。
ちょうど人肌に心地よいくらいの水温だ。
もう一度キャロルの顔を見つめなおす。

「・・・・・・・・・・だが・・そなたには少し冷たすぎるかもしれぬな・・・」

ふと考え込んだあと、慎重に水際に腰をおろし、横抱きのまま自分の膝の上に座らせ、キャロルの足先だけを静かに水面に沈める。
そして少しずつ片手で泉の水をすくいながら、キャロルの体にまとわせている薄布を濡らしていった。
一気に冷たさで驚かさぬよう、体の先端からゆっくりと徐々に慣らさせながら水で浸してゆく。
乾いた薄布は見る見るうちに水分を吸い上げ、同時にキャロルの身体にピタリと貼り付いていった。
熱くほてった薄紅色の柔肌が紗を通して浮き上がる。
肌に伝わる水の冷たさに意識が浮き上がるのか、熱い息遣いのまま、キャロルは首をゆっくりよじらせて、無意識に抱かれているメンフィスの方へ頭を擦り寄らせてきた。
それはメンフィスにとってあまりに刺激的すぎる媚態―――メンフィスは突き上げてくる感情にたまらず、思わず自分の肩布でキャロルの身体を目線から隠すように覆い包んだ。

「こやつめ・・わたしの気も知らず!!!熱にうなされている身でありながら、私を翻弄しおって・・・・」

だが、そんなことを言っている場合ではない。
とにかく一刻も早く身体から熱を引かさなければキャロルの命にかかわる・・・
そっと肩布で覆い包んだ腕をゆるめ、そよぐ風にキャロルをさらした。
暑く乾燥して乾ききった風は、即座に濡らされた薄衣を乾かしてゆく。
蒸発とともに、キャロルの熱を体全体から奪い去らせ、幾分かなりとも身体を冷やしてゆくはずだ。
しばらくして部屋の用意が整ったとの知らせを受けたが、メンフィスはその場を動こうとせず、薬や飲み物など必要なものはすべて泉へ運ばせ、その後誰も側に近づけようとはしなかった。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「ぅん・・・・・・・」
「キャロル?!」
「・・・・・・・・・? メン・・フィ・・ス・・?」

何度目かの薬を含ませた後、もう、昼下がりの頃だっただろうか・・。
キャロルの目が覚めた。
熱も高いままで、相変わらずかすれた声ではあったが、視線はメンフィスの顔を、瞳を、しっかり捕らえている。

「おお・・・!」
―――青い瞳だ。先ほどの充血は幾分かひいている・・・

安堵とたまらない喜びがメンフィスの体中を駆け巡る
神への感謝
叫びたいほどの感情が湧き上がった。

「キャロル、キャロル気分は?どこか苦しいところはあるか?」

大切に膝の上に抱きなおし、胸の中でこちらを見上げるキャロルに声をかけ額に口づける。
だがやはりまだかなり熱い。

「な・・・・・・・・か・・・・・・・・・・・・・すき・・すぎて・・・気持ちが悪い・・」
「なに?」

意味がよくわからない。
好き?気持ちが悪い?なんなのだっ?!!!

「キャロル?なんと言った?そなたがわたしを好きなのはよくわかっておる。だが気持ち悪いというのは・・・」

そこまで言って、きょとんとしているキャロルが繰り返した。

「・・だから・・おなかが・・すいたっ・・て・・・・・」
「―――――――――っ!!!!・・・」
「・・・もうお昼・・なの?・・・・なんだか美味しそうな・・・匂いが・・するわ・・・」

かすれ気味とはいえ、ふわふわとした声の、どこか間の抜けた緊張感のないキャロルの答えに思わず言葉を失ったメンフィス。
まじまじと穴の開くほどキャロルの顔を見つめ、どのくらい経った後だろうか、くっと顔を伏せてから、寸分の間もおかず、そのままがしりとキャロルの身体を抱きしめた。

「! ねぇ・・メ、メンフィス・・・っ・・・・!!くる・・し・・」
「待っていろ、すぐ用意してやる!」

息も触れんばかりに目の前に寄せられたメンフィスの顔はこれ以上もなく破顔していた。
びっくりするほど柔らかなやさしい笑顔で、満面の笑みをたたえて。
目にしたキャロルが今度は声を失った。
両頬を大きな両手でしっかり捕らえられ、唇が重なる。

「なにがよい?そなたの食べたいものなら何でも取り揃えてやるぞ!」

そういうと同時にキャロルを抱きかかえあげ、メンフィスは泉の庭を突っ切ろうとした。
(・・・・え?!)
肌を流れる涼風の妙な感触に、その時やっと、キャロルは自分がどういう状況で抱かれていたかに気付いた。

「い・・・・っ!!  いやぁぁあぁぁぁぁんっっっっ!!!!!!!」

既に乾ききっていたとはいえ、薄い上掛けたった一枚の姿・・・・反射的に身を縮めて暴れるのをメンフィスは軽々とあしらい、瞬時に口をふさいでしまった。

「んんっっっ〜〜〜!!!!」

じたばたと身じろぎし抵抗していたが、それも数秒のこと。
炎の塊のような激しいキスと抱擁に、キャロルの張り詰めた緊張がだんだんと溶かされていった。
観念したのか、落ち着いたのか、ぎこちなくも力を抜いて徐々に甘く受け入れてゆく。
メンフィスはそれにあわせて、唇の位置を変え、さらに酔わすような口付けを何度かかさねてから、ようやく腕の鎖を解いてやった。

「前菜としては物足りぬが・・・まぁよい。」
「メンフィスっ・・・!!!」
「はははは。さあ、まいろう。わたしが食べさせてやる。果物なら喉をとおるな。いや、スープの方がよいか?なんにせよ、とびっきり美味いものを・・・」
「ま、待ってよメンフィス!着替えを・・・きゃあぁっっ」
「心配致すな。二人っきりで食事だ。誰にも邪魔はさせん。そのままでかまわぬ。」
「わっ、わたしはかまうわっ!!!!!ねぇもうっメンフィスったら!!」

力はないが、自分の胸をたたくキャロル・・・。
呼べばこちらを向き、愛すれば答える。
安堵と満たされた愛しい思いに、自然と喜びがさらに湧き上がる。

「ああ。いくらでもさえずれば良いぞ。みんな聞いてやる。」
「聞くだけじゃダメだったらっ!!!」

ぴたりと歩みを止めて、じっとキャロルを覗き込む。

「・・・・・では、着替えさせればよいのだな。」
「えっ???!!!」
「そうだな・・・薄い紗のベール一枚でもよいのだが・・・」
「な、なにを・・・・まさか」
「そなたは身体が動けまい。手がいるであろう?私が着替えさせてやる。」
「そ、そんなっっ!!ぃやっ!!こっこのままでいいわっっ!!やめて!メンフィスっっ!!」
「遠慮いたすな。さあ、ゆくぞ」



―― その後、ゆっくりではあったが順調に熱も下がってゆき、ジギタリスの猛毒は二度とキャロルを苦しめることはなかった。

幾多の苦難を乗り越えて、祖国エジプトへ、二人の婚儀の行われる都テーベへの出発はもうすぐである。



Fin.


2001年 「ししぃの館」投稿作品




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