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熱
額が熱い・・・!
夜明け前、なんだか寝苦しく目がさめたキャロルは、今朝の気温が異様に暑いのかと思って、夜具をずらし身体を起こした。
しかしおかしなことに片方、左の腕にだけぐっしょりと汗の感触が伝う。
「! メンフィス?!」
そっと覗き込むと、体中からひどい寝汗をかいているメンフィスが写った。
手を額に当てると、異様な熱を感じ取れる。
「た、大変! だ、だれか、誰か!」
キャロルは真っ青になってメンフィスの横を飛び起き、寝所の扉の外へ駆け出した。
驚いたのは外に守り控えていたウナス達近衛兵だ。
「王妃様?!」
「ウナス!!は、早くお医者様をよんで!メンフィスがっメンフィスがっっ!!」
「キャロル様?!ファ、ファラオっ!失礼を!」
パニック状態のキャロルを扉の所に押し止めさせ、状況を確認すべくウナスは寝室へ駆け込んだ。
賊が襲ったのならすぐさま取り押さえなければならない!
即刻大勢の兵士達が異変に気づき押し寄せる。
ガクガクと震えるキャロルを助け起こしたのはミヌ―エ将軍だった。
「キャロル様!」
「早くお医者様を!メンフィスがすごい熱を出しているのよ!」
ようやく言葉を最後まで告げて、必死でミヌ―エにしがみつく
「落ち着いてくださいキャロル様!すぐ手配いたします!おい!」
声をかけられた兵士は、状況を飲み込んで、即座に伝令を走らせる。
程なく、イムホテップ宰相も老体を省みず猛然と走りこんできた。
「ファラオは?!」
「イムホテップ!メンフィスがひどい熱なの!お願い早く診てちょうだい!!」
キャロルはもう泣きながら、なりふり構わずメンフィスに取り付いていた。
「メンフィス、メンフィス!!」
「・・・・うるさい・・・・・・聞こえておるわ・・・」
けだるそうな声
うっすらと瞳を開け、相変わらず苦しそうな息のもとにもかかわらず、それを押し殺してメンフィスはわざとキャロルをいまいましそうに見上げていた。
「ファラオ!御目が覚められましたか。ご気分は?」
「・・イムホテップか・・・・、騒ぎ立てるほどではないわ。なんだこの騒ぎは・・・何ともないゆえ皆下がらせよ。」
「なにをいって・・・!」
「・・・分かりました。」
跳ね上がるキャロルを制してイムホテップは無言で押し寄せた皆を退出させる。
イムホテップ、ナフテラ、それに駆けつけた医師ネゼクのみを残した部屋で、キャロルは改めてメンフィスに噛み付いた。
「たいしたことないなんて馬鹿いわないで!!今も、息が苦しいくせに!」
「馬鹿者・・大げさにするでない・・。・・・・・・皆が動揺するではないか。」
はっとして、メンフィスを見つめた。
なんともいえない苦笑いをキャロルに向けている。
「ふーっ、・・・ただの熱だ。・・・死ぬわけではない。心配致すな。」
「そ、そんなこといっ・・いったって・・だって、わたし怖くて・・怖くて・・びっくりしてっ・・ひっく・・・・」
メンフィスが何を心配したか・・・
それを思うとキャロルはやるせなくなってしまった。
自分の行動の軽率さが、その行動が、王妃失格だったのだ。
ただただ、メンフィスの事が心配の一心だったのに・・・。
王の弱みは、即、国の危機を呼ぶ・・・
かたわらで泣きじゃくるキャロルの髪ををそっと撫ぜ、ようやく無理にいからせていた肩の力を抜いたようだ。
とたんにメンフィスの表情が熱のため苦しそうにゆがむ。
「キャロル様、あまり興奮なさらず、メンフィス様にお休みいただかねば。」
「このところ激務が続いておいででしたので、お疲れからのものでしょう。少しこちらをお召しになって、お休みください。明日1日ご様子を見ましょう。」
ネゼクは熱さましの薬湯を差し出し、安心させるように少し笑って付け加えた。
「大丈夫でございますよ。お見立てしたところ、最近はやりのお風邪のようです。高熱が出やすいことが難点ですが・・・。それより、どうぞ王妃さま、今はご自身もお休みになってください。明日はしっかりファラオを監視していただかなくてはなりませんし。こういう場合、休息が何より必要ですからな。明日は王が動き出されぬよう、お見張りをお願いしますぞ。」
一旦、汗にぬれた衣を着替えさえたっぷりと薬湯をメンフィスに飲ませたあと、ネゼクはキャロルに各種薬の説明し終えて、残っていた者も夜明け前のひとときを前に全員退出していった。
静寂が再び二人を包む。
聞こえるのは愛しい人の息遣いだけ・・・。
夜明け前の、ほんの少し冷たい冷気がナイルよりそよいでくる・・・
じっとキャロルは寝台の横でひざを床についたままメンフィスの傍らにうずくまっていた。
やはり涙は止まらない。
ああは言われても・・ もし、熱がこのまま下がらなかったらどうしよう?!
潜在的にキャロルを襲う風景があることを誰も知らない。
口に出すことなど絶対に出来ない事実。
あの現代でみたメンフィスの柩・・・何より恐ろしい光景・・・誰にも理解してもらえないこの不安・・・。
いつかやってくるだろう逃れられない恐怖に気がおかしくなりそうだ・・・・
(・・・おいていかないで・・・一人ぼっちにしないで・・・)
また、大粒の涙がキャロルの頬にこぼれおちていった。
メンフィスの額の熱を少しでも下げようと冷たい布に取り替えようとしたとき、伏せられていた長いまつげがゆっくりと開く。
熱を帯びたメンフィスの眼はいつもと違ってとても悩ましげだった。
「なにを・・・・そんなにおびえている?・・・・・・安心致せ・・すぐに治る。・・・・ふふ、泣くな・・・・・・・まったく、・・・そなたは大げさだな。・・わたしがそんなに弱い男と思っておるのか?」
男らしい大きな手がキャロルの頬をなぞる。
口ではそう言いながら、反面、キャロルのその態度がとても嬉しかったのだ。
不覚にも熱に襲われた自分だが、こんな状況も悪くはないなとまんざらでもない。
自分のことを心から心配するキャロルが純粋に愛しい。
逞しい手のひらが、いとおしそうにキャロルの顔をつつみこみ、首ごと引き寄せ口付けしようとした。
「・・・いや、だめだな」
不意に手が止まる。
「大事なそなたに熱を移してしまう・・・」
キャロルは首をふった。
「わたしは大丈夫。現代でいろんな病気のワクチンを摂取してるのよ。風邪なんて、そうひどくはうつらないから・・・」
「ワクチン?」
「遠い未来の進んだ医療よ。こう見えてもわたしの体の免疫力は貴方よりずっと強いんだから。」
「・・・・・・・?」
時々妃は理解できぬことを口走る。
熱に犯されている所為だろうか?
言っている意味があまりよくわからないままキャロルを見つめていると、柔らかい唇を己のそれに重ね合わせてきた。
「・・!・・・キャロル・・」
「それにね、風邪は人に移すと治るって言われているのよ。」
翌日、午前中にはメンフィスの熱は微熱程度に落ちていった。
と、同時に、なんとみごとにキャロルが反比例のように発熱してしまったのだ。
それを聞いたメンフィスの慌てようといったら、キャロル以上に目も当てられないうろたえぶりだった。
「昨夜うたたねなさいましたね、王妃様。寝冷えですよ、これは。」
冷ややかに落ち着いてキャロルの問診結果を伝え、ネゼクは淡々と薬湯をさしだす。
二人分。
「今日はどうぞご一緒に、お薬を飲まれてお休みください。」
どうせお互いがご心配なのでしょう?と、二人仲良く同じ寝台に並べられ、ファラオ夫妻はことさら苦い薬湯を一緒に苦戦するはめとなった。
「っ、にがぁいっっ! 半分あげるわメンフィス」
「いらぬ!それにもう、わたしは治っておる。そなたこそ必要であろう、遠慮いたすな。」
そういって、メンフィスは自分の杯の中身をキャロルの杯に流し込む。
「あーっ!メンフィスひどいっっ!!」
「いいかげんになさいまし!お二人とも!!」
たまりかねて、ネゼクは声を荒げた。
仲が良いのは結構だが、臣下の目の前でこうもあられもなくジャレあわれてはさすがに皆目のやり場がない・・・
あわてて、そそくさと周囲が部屋から退出して行く。
さすがに大人気ない行動に気づいた二人はお互いの顔を見合わせ、肩をすくめて笑いあい、おとなしく一つの杯の薬を半分ずつ飲み干したのだった。
「たまには風邪をひくことにするか・・・」
すこし熱い身体を横たえ、腕の中のキャロルにメンフィスは幸せそうにささやいた。
Fin.
2001年 「ししぃの館」投稿作品
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