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天上の花
白い光に溢れた午後の水辺に咲き乱れる花々
朱・黄色・薄紅・橙・・・
燦爛たる明るい色彩の乱舞
そのきらめきに舞い飛ぶ蝶がいた。
淡い羽をふわりと翻し、緑の中へ、そして又飛び立ち現れる
踊るがごとく優雅な姿に目を細めるメンフィス。
黄金の燐粉を残光にまで残し輝く妃がそこにいた。
両手にあふれんばかりの紅色の花々を抱えて椰子の緑の木陰を通り過ぎようとしたとき、ふと妃の動きが止まった。
「ん?」
それまでメンフィスは手にした書類を置き、何気なくその様子を眺めていたのだが、どうも妃の見せた一瞬の表情にすべての意識がそちらへとらわれてしまったのだ。
「キャロル様?」
「え?なに?」
ナフテラが後ろから王妃に声をかけた。
彼女は唐突に瞳を集中させて見入るキャロルの様子に何か見つけたのだろうかとそちらに視線を向ける。
「何かございましたか?」
何でも興味を示す好奇心旺盛な王妃に付き合って随分になるナフテラは、今度はまた何をご覧になったのだろうと何時ものように半分笑いながら問い掛けた。
「まぁ。かわいらしい花が。・・・?キャロル様?」
そこには少し小ぶりな真っ白な花弁の花が咲いていた。
花弁が幾重にも重なった一輪咲きの花。
こんな時一番に喜んで顔を輝かす王妃である。
今日も王のお部屋に飾る花々を探すため、自ら選ぶんだといって聞かず、付き人たちの静止も聞かず真昼の庭に飛び出していたのだ。
その王妃がなぜか意識を抜かれたかのようにボーっとその花を見つめている。急に不意をつかれて何も思いつかないかのような...
「キャロルさま?」
「さ、早くお水につけてあげなくちゃね。この暑さではすぐにしおれてしまうわ。」
「あの花はよろしいのですか?」
「ええ。もう両手いっぱいですもの。それに、今日は明るい色の花にしたいから。うふ。いい香り。」
無邪気に花の花弁に顔をうずもれさせるキャロル。
さらりと裾を翻すと薄紅の花びらが風に吹かれて舞い飛んだ。
「テティ!花瓶を頂戴!急いでね。」
いつものこぼれるような天使の笑顔がまわりのすべてを魅了していく。
光の午後はゆっくりとまどろみの時間へと移っていった。
「何をしている?」
ベランダ沿いの小さな机にパピルスを広げて何かを書いていた妃を覗き込むメンフィス。
夕暮れも近く涼しくそよぐ風が心地よい。
きらりきらりと髪がゆれる
うっとりと思わず見とれていたメンフィスだが、妃の手元を見て即座に顔がゆがんだ。
「・・・異国の文字だな。どこの国のものだ?」
見たこともない線が横向きに複雑な軌跡を描いて記されている。
「・・・・英語。」
「? エイゴ?・・いったいどこの国の言葉だ?なんと書いてある?」
明らかにあせる様子のキャロルの手からパピルスを奪い取り、だんだんメンフィスの声がいやな方向を向き出した。キャロルは気まずく唇を開く。
「それは・・まだ存在していないからこの世界にはない国の言葉よ。・・・あ、あの、これはただ、暇つぶしにちょっと書いてみただけ。ね、おなかすいたでしょ。今日の夕食にはおいしい鳥の煮込みがあるんですって。行きましょ。ナフテラがさっき、あっ」
さりげなくメンフィスの手の中のパピルスを引き抜こうとして傍らに立ち上がったキャロルの腕を、メンフィスはすかさずからめて唇を奪う。
「・・・これはなんだ?」
有無を言わせず青い瞳をのぞきこみゆっくりと抑えた声で繰り返す。
こんな口調の時はもう絶対他のことに話をそらしてはもらえない。
キャロルはため息混じりにメンフィスの胸に手を添えてうつむいた。
「・・・手紙よ。・・家族への。・・だからせめて・・故郷の言葉で・・・。元気にしてるって......でも・・・けして届かないけど・・・・・・・・」
消え入るような小さな声で言葉を詰まらせ、しだいに添えていた華奢な白い指がゆっくりと握り締められた。メンフィスの豪奢な肩衣をひきよせ顔をその中にうずめる。
「怒らないで。ごめんなさい。ごめんなさいメンフィス・・・わたし・・・わたし・・・ただ」
メンフィスはうなだれる小さな肩を引き寄せ抱きしめた。
その中でなおも聞こえてくる言葉にやるせなさを感じながら...
「ごめんなさい・・」
こんなことを口にすればメンフィスはいつも猛全と怒りをあらわにしてしまう。理不尽さを感じることもあったが、それだけ彼が自分の存在を独占したい気持ちの、嫉妬の表れだということも身にしみてわかっている。自分がメンフィス以外の者のことを思うこと自体、彼にとって苦痛なのだ。
それを知っていながら、私は尚もメンフィスの前で同じ過ちを犯してしまっている。誰より愛する人を私は又苦しめている・・・
「ごめんなさい・・」
しだいに涙声の混じってゆく妃の髪をなで、そのままの状態でメンフィスは動きもせず、ずっと黄金の髪をやさしくなでおろしていた。
夕日がナイルの果てに消えていく。
その情景をうつろに眺め、金の髪に唇を寄せささやいた。
「・・・そんなに私はそなたを苦しめておるのか?」
はじかれたように顔を上げ、黒曜石の双眸をとらえて首を振る。
勢いよく振られた首に黄金の糸が扇のようにひるがえり、夕日の残照に照り返し、金の光に染まった妃のかんばせは、まさに女神。驚きと戸惑いと、そして信じられないというように見開かれたまっすぐのサファイヤの視線に捕らえられ、メンフィスは金縛りにあったかのように動けなくなった。
「ちがうの!私があなたを悲しませているのに!貴方にそんな思いをさせるなんて...わたし、貴方が何より、誰より大切なのに...誰より・・・誰よりも愛しているのに・・・」
メンフィスは愛しさにたまらなくなって唇に、首筋に、胸元に己の唇をあて口付けの雨を降らす。
・・・いじらしくてたまらぬ
・・・どうしてよいかわからぬほどそなたが愛しい
必死に自分を愛していると叫ぶ姿に
あふれるほどの愛情の波がメンフィスに襲ってくる。
ずっとおぼれていたいほどに・・・
「愛しい我が妃よ。・・美しいそなたの生まれた地だ。さぞかし素晴らしい世界なのであろうな......平和で、豊かな・・・そうでなければこのようなそなたは生まれ出ではせぬ。感謝せねばな。」
「メンフィス・・・」
溶けてしまいそうなほどやさしい眼差しにふわりと添えられた逞しい腕。
軽々と抱き上げてほほの涙の跡を唇でなぞる
そして長く、深く深く、ゆっくりと柔らかい唇に沈んだ。
「心配せずとも故郷にはそなたの様子など手に取るようにわかっておるはずだ。元気が良すぎで香料を蹴倒すほどだからな。」
「!ひどいっ! だって、あ、あれは足元が暗くてつまずいただけよ!!」
昨日のハピ神殿での出来事だ。
妃になってようやく神事にもなれてきたのだが、儀式の道具は黄金作りが多く意外と重い。手にした供物にふらついて側の香炉を盛大に倒してしまったのだ。
「あの音が母女神に聞こえぬわけがない。さすがに苦笑しておられたであろう。」
その光景をまざまざと思い出したのか、キャロルを抱いたまま心底大爆笑するメンフィス。
そして顔を真っ赤にしてにらみつけるキャロルを見て満足そうに又笑った。
次の日
あの椰子の木陰にキャロルがいた。
何かを埋めている。
御付き武官のウナスは、又つかえる主人がとんでもないことを始めたのかと、眉間にしわを寄せ近づいてきた。
「キ、キャロルさま!」
「あら、ウナス。どうしたの?ヘンな顔をして」
「なっ、なにしてらっしゃるんですか!王妃様!お衣装が泥だらけですよ!ああ、お手もお顔も・・・そもそも土いじりなんて王妃様がなさってはいけません!」
「うふ。ちょっとおまじないをネ。そんなに汚れちゃったかしら?あ、ほんと...」
手にどこで調達したのかスコップのようなものを持ち、額の汗をぬぐった後が泥の線をつけてくっきりと張り付いている。
こんな姿は他の者には見せられない・・・いや、断じてダメだ。偉大なるエジプト帝国の王妃の威厳が・尊厳が!!!
そんなウナスの心痛をものともせず、ほぼ泥んこ遊びでご機嫌の子供同様の姿の王妃は会心の笑みを向けてあっさり言い放つ。
「ねぇ、そんなに眉間にしわ寄せてばかりだと、一気に老けるわよ。」
老けさせているのはどなたです!との言葉は飲み込んで、王妃を立たせ、着替えをさせに部屋へ促した。
*********
「そういえば、白い花はあまりお手にはなさいませんね...」
ナフテラはメンフィスの居間で花瓶を置きながら王に答えた。
その花瓶には今朝も早々とキャロルの手折った色鮮やかな花弁が寵を競っている。
好みからして、薄紅色がもっともきにいっているようだが、白はない。
「あやつ、どんなものを好むのか口に出さぬゆえ非常に困る」
「ほほほ。それは楽しいお悩み事ですわ。」
*********
「この世界にはけして咲かない花なの。」
ウナスを背に、夢を見るかのように空を見上げ、部屋へ向かう回廊を歩きながらキャロルは話しつづける。
「私がなにか出来たり、覚えたり、誉められたりしたとき、一輪ずつ家族のみんながプレゼントしてくれたの。大好きなピースを。増えていくのが嬉しかった。私がここへ来る頃には庭の一角が一面真っ白に咲き誇っていたわ。一株ごと大切な思い出がつまっていて・・・・・・」
「それが、あの花ですか?」
「いいえ。でも・・形が少し似てる。あの花はもう、けして見ることの出来ない花だけど、でも私の中では今でも一面に咲いているわよ。ふふ。」
ピース・・・・・・・
それは遠い未来、平和をもたらすともてはやされる淡く白い薔薇。
中国の原種とヨーロッパのものが掛け合わされ生まれたティーローズを元にしているような記憶があるが、定かではない。気品漂う清楚な美しさ、甘い香り、優雅な花弁に一目で魅せられた。
そう。あの花が欲しくて幼い頃無理をしてでも沢山本を読んだっけ...
恐ろしく沢山の雑学(皆は神の叡智と言うけれど)のベースはあの時身に付けたものだ。今、それが時々に役に立っている。エジプトの役に、メンフィスの役にたっている。
「だからね、白い花は特別。本当は大好きでお部屋にも飾りたいけど、手折ったりしたらばちがあたりそうだわ。」
かわいらしい笑い声が水面に反射した光にあわせて響く。
手にしたスコップを楽しそうにくるりと手首を返してまわし、ついていた湿った土がウナスの頬にペタリ...慌てて自分の美しい衣装の裾で拭い取ろうと肩に取り付き乗りかかるキャロルを、ウナスはそれこそ必死で眉間にしわを寄せ押しとどめなければならなくなった。
「そんなことをされては王にお手打ちにされてしまいますっっ!!」
『私はいつまでもみんなの愛をわすれないわ。
ありがとう。20世紀の愛しい人々......そしてピースの花たち
出来ることなら 私の愛をあの人々に伝えつづけてくれますように...』
そよそよと、木陰の白い花弁は風にゆれ頷いた。
遠い未来の同胞へ、見えない手紙を運ぶかのように。
Fin.
2001年 「ししぃの館」投稿作品
【後日談・・という言い訳】
『ピース』って後で調べたらクリーム色の薔薇だそうですね。
・・・黄色とか、ほんのりピンクも混じるとか・・(大汗)
わたくしが以前実物を見たときは花弁がアイボリーというより
ホワイトに近い状態だったので(色あせてたのかな?)
「ピース」は白薔薇!と思い込んでいたんです。
・・あの・・どうぞ片目をつぶって見逃してやってください。<(_ _)>
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