王家の谷へ
Back
哀の闇
V
前へ・・前へと・・・手を引かれて歩いていた
何もしゃべらず、左手を引かれるままに。
前方を行く力に引っ張られ、階段を、回廊を通り過ぎてゆく。
頼りなく交差する両足
ただ右・左・右・左と、機械人形のように。
なにも考えられなかった。
どうして自分が今前に進んでいるかも・・しばらくの間思考が止まっていてよく分からなかった。
熱い・・・
左手だけが熱をもってとても熱い
振り切ろうと思えば振り切れるはずだった。
だけど・・・なぜかそうできなかった
温かくて・・・
ずっと欲しくてたまらなかった温かさが其処にあったから・・
未来に置いてきてしまった、なくしてしまった温かさ
過去の異世界にただ一人落ちてしまった自分にはもう手が届かなくなってしまったはずのもの
心を安らかにしてくれる温もり
ふれて伝わる優しい思い
家族が・・親友が・・・心を許してくれる恋人が自分に与えてくれる温もり
全てが懐かしかった
軟らかく捕らえられた自分の左手
この手を振りほどくことはきっと簡単だったけれど
自分の手を引き前を行くのが誰の手であるかも分かっていたけれど
闇夜の暗さが視界をぼやかし見えなくしてくれているおかげでなぜか嫌悪感はかけらもおきなかった。
ただこの指先からの温かさだけが伝わる
わかるのは背の高いその後ろ姿の輪郭だけ
あれほど怖いと思った暗闇なのに
どうしてこんなに平然と歩けるのだろう?
どうしてあの人の手にひかれておとなしく歩いているのだろう・・?
どうして・・・・わたし・・・・・
・・・・・・・・・・・・・この人の胸の中でさっきあんなに泣いてしまったのだろう・・?
ぼんやりと思い出す
泣き疲れて・・・
声も力も出なくなって・・・・・・・
何かの言葉をかけられていたようだけどそれが何だったのか・・聞こえなかった・・
その後で・・・・壊れた人形のようになったわたしはこの人の手に引かれて
なにもかも抜け落ちてしまったように
浮遊感のただようまま・・・ただこの指先の温もりだけが道しるべのように・・前に向かって歩いる。
髪に落とされた淡い香油の香が夜気の中にかすかに漂っていた・・
それは自分のものだったか・・前をゆくあの人のものだったのか・・・・
下の宮殿にたどり着く頃にはやっとそんなかすかな空気の香に意識を向けられるようになっていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
扉の前で初めて彼が立ち止まり振り返った。
ふわり・・
「・・・・・・・・ゆっくり・・眠れ。・・・・・よいか。何もかも忘れて。」
体中を指先と同じ熱さが包む。
冷え切った体が長身の彼に包まれたのだと分かった。
何の抵抗も反応も示さないことに不安を感じたのだろうか?
彼は私を胸の中に引き寄せてから一瞬その存在を確かめるように強く抱きしめた。
頭上から低く小さな呟きのような声が聞こえる。
「そなたの部屋だ・・・・。 ・・・・よいな。 ・・・わかるな?・・・・キャロル・・・」
「・・・・・・・・・・」
心が・・・つぶれてしまいそうなぐらい痛い
髪に触れるその手が優しさが懐かしい・・・・
手のひらの中に押し包むように髪をなでる――
かつて父が・・兄が・・よくしてくれた仕草だ。
意識にのぼる前に涙だけが先に落ちていく
どうしていいかわからない
表情も変えずに、今自分はまた泣いている。
どうしたらこの痛みは治まるの?
もう現代には帰れないのに・・
わたしの欲しい安らぎはもうどこにもないのに・・・・・・
「キャロル・・・・・・・・泣くなと申すに・・」
眠らなければ・・・
そうよ・・・・また明日が始まる
たった一人の明日
いつ終わるとも知れないこの世界の明日が来る・・・
眠れば・・それも忘れられる・・・・・・・夢の中でなら・・・きっとみんなに会える
会いたい・・・・
だから眠ろう・・
今は・・・・・・
支え抱いていた華奢な体が急に重力を増した
己にもたれかかるようにずるずると力を失って・・。
「キャロル!」
泣きはらした後がくっきりと残る青白い頬
何かが切れたようにまたその体が地上に崩れ落ちる。
「キャロル・・」
「・・・・!」
軽い・・・
力を失った体を抱きあげて、改めて気がついた。
もともと小さな体だが、外見の予想以上の軽さに愕然とする。
かつて何度か暴れるキャロルを横抱きに馬に乗せる事もあったが・・・あの時よりも恐らくずっと軽くなっている・・
(――わたしは帰りたいの!! 自分の国へ・・・・ただ家族のもとに帰りたいだけなのよ!!!)
(お願いよ・・・っ・・・望みをかなえてくれるなら・・・・わたしを・・・わたしをもとの世界に・・・!!!)
「・・・・・・・・・・・・・」
「ま、まあ! メンフィス様!いかがなされました?このようなところに・・・・・え?・・・キャロル?」
回廊を通りかかったナフテラ女官長が、場違いな場所に立ち尽くしている王の姿に気がついて声をかけた。
メンフィスの腕の中でくたりと正体のないキャロルを見て目を見張る。
「・・・・メンフィス様?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
なにか様子がおかしい
一言も発せずその場に沈黙している王に、とにかく部屋へと扉を開けて促した。
キャロルのベッドを横たえやすいように手早く整え、燭台の火を少し増やす。
煌く調度品
侍女の身分としては破格の内装を備えた部屋。
メンフィスはゆっくりとその部屋の奥に歩み、キャロルの体を寝台の上に横たえていた。
「あの・・・」
「さがれ。・・・・・・そなたに用はない。」
「・・・・・・・・・はい。」
静けさを取り戻した部屋の中、メンフィスはキャロルを横たえた寝台にそっと腰をかけた。
振動をかけないように慎重に上半身を動かし、真上から生気を失った少女を覗き込む。
「・・・・・・・・・・」
憔悴しきったキャロルの顔を見ながら、メンフィスは我知らず大きなため息をついていた。
白い頬に淡く指を滑らせ、僅かに頬に乱れかかっていた金の髪をなでつける。
なぜそんなにこの国にいることを嫌がる?
この大エジプト帝国のファラオであるわたしがそなたを望むというのに・・・・・
我が意に従えば、どのような富貴も欲しいままにさせてやろうというのに・・・。
あんな悲痛な泣き声で・・・そなたは・・・
・・・・・闇の中、回廊で聞きつけたキャロルのあの泣き声
(キャロル・・・っっ!!)
心臓が凍りつくほどの悲しい悲鳴―――!
(キャロル・・泣くな、キャロル・・・・キャロル・・・・・・・しっかりいたせ!)
咄嗟に無我夢中で走り寄りその体を抱きとめた。
そうしなければ、本当にこの娘の何かが壊れてしまいそうだったのだ。
その後もずっとかすれた泣き声はいつまでも止まらなくて・・・・
ゆれる明かりに青白く浮かぶ娘の顔は、何の感情も映さず痛々しいほどだった。
気丈に振舞う姿とは全く異なる儚い容貌・・・
それは必死に気力を振り絞っているだけだというのか・・・・
この私のそばでは決して安らげぬと言うのか?
「・・・・・・・・・」
もしも―――
もしも
そなたが私の腕の中で笑ってくれたなら・・・・・わたしは・・・
メンフィスは闇に眠る少女に目を奪われたまま自らも動けなくなっていた。
「・・・・・・帰ってはならぬ。」
頬に唇を寄せつぶやいた言葉は彼女に聞こえていたのだろうか?
夢に漂うキャロルの目じりにうっすらと涙が光った。
「・・・・・・・・・それだけは叶えてやれぬ。・・・」
そなたが欲しい――
何にもまして・・・そなたが愛おしい・・・・。
もしも又・・我がもとより消えるなどというまねをすれば・・・・この命の限りをつくしてそなたを呪ってやる。
決して離れられぬよう・・・
魂の底から・・・・永遠にぞ―――
呪詛をつむぐメンフィスの唇に 悲しい涙の味がした。
Fin.
王家の谷へ
Back
© PLEIADES PALACE