王家の谷へ

睡 蓮
〜 4巻と5巻の間の出来事 〜





「・・・・あの花が欲しいのか?」
「えっ」

ぼんやりながめていた白い大きな睡蓮
そんなに物欲しそうに見つめているみたいだったかしら?

「い、いいえ。ただ・・・・・綺麗だなと思って。」
「・・・・気に入ったのだな?」
「え? ・・・・まぁ・・そうね。・・・あんなに大きなのは今まであまり見たこと・・ えっ!!ちょっとメンフィス!!!」

伸ばした指が空を切る。
彼の背中を思わずつかまえようとして。
手のひらの隙間から見える彼の後姿

「・・・・・・あ・・の・・」

ざばざば
ざざざぁぁっ

あっけに取られているうちに、彼はなんの躊躇もなくその睡蓮を手折ってこちらに戻ってきた。
膝丈ほどしかない水かさだったけど・・
池の中には違いない。
いきなり水に足を沈めて
・・衣装が汚れるのも気にせずに
ど、どうしよう・・
そんな事、召使ならともかく彼のような人がやることではないのに・・・・。

わさっ
「・・・・・・・・」

ずいっと目の前に押し付けるかのように渡された。
水上にあった美しい花
したたる水滴をこともなげに自分の上質な肩布でふわりと拭き取って。

「あ・・・ありが・・とう」
「・・・・・」

びっくりしたままだったのでどんな顔をしていいか咄嗟にわからなくなって、凄くぎこちないまま彼を見上げた。
なんだろう・・ちょっと恐い顔
・・というより、ものすごく不満気で

(あ・・・・ 今、 え、笑顔でお礼を言うべきだったのね・・きっと・・ そうよね)

といっても、自分の頬もなんとなく微妙にひきつってしまって、すぐにもとには戻らない。

(えっと・・・・・・)


なんとなく居心地悪くなってうつむいてしまった。
だめじゃない。これじゃ・・余計に・・
せっかくメンフィスが気を配ってくれたのに

どうしようどうしようと思っている間に、なんだか訳が分からないけれど悲しくなってきてしまった。
いつもすぐに微笑めばいいだけなのに
それが出来ない
このごろすごく情緒不安定

つ・・・・

「キャロル・・!」

なんだか・・
とにかくこのところ涙腺がすごくゆるい気がする。
何かあるとすぐ涙がこぼれてくる。
わたしこんなに泣き虫じゃ・・
心配かけたくないのに
これじゃぁまた心配されてしまう
ほら

「キャロル・・・」

「・・・・・・」

「・・・キャロル・・」

「・・・・・・・・・」

「・・・・肩は・・まだひどく痛むのか?」


こうして・・毎日、毎日
貴方は時間をみつけては何度も私のところにきてくれる

動けない私のために
今日は庭に程近い部屋に寝椅子をしつらえ連れてきてくれていた。
なにやかれやと手をかけ、気を配り・・
・・なのに、いつもわたしは何一つ満足に返せていない
貴方の気持ちに

貴方がそっと髪に手を伸ばし、頬を撫ぜて
こぼれてしまった涙を親指で拭き取る
・・そんな仕草も心に痛くて
信じられないほど、貴方の手つきが優しくて

「・・ご・・めん・なさい・・」
「・・?」

きっと・・体も心も弱っているから
ちょっとしたことでも震えてしまうのよ
何も出来ない自分が悲しくて

「キャロル・・?」

一体・・いつになったら自分で動けるようになるんだろう
寝台に横たわったこの体は日に日に重力が増したかのように重くなっていく
そんなはずないのに・・
きっとものすごく体重は減っているはずなのだから。
この一月・・肩の傷をふさぐために絶対安静だったが、一方で全身の筋力は衰えつづけ、今や身じろぎするのも苦しい・・
固まっていく・・
自分の体がどんどん動かなくなっていく気がする・・

「全然・・ちっとも治らなくて・・ ごめん・・なさい・・・」

ぽろぽろと大粒の涙がこぼれた

困惑したかのような貴方の指先がふっと離れていく
静かに立ち上がり、側にいた女官達になにやら指図をしながら遠ざかる

ああ・・きっともう行ってしまうのね・・
ごめんなさい
ちっとも・・ちっとも応えられなくて・・

睡蓮・・
片手の中に残った綺麗な花
でもこれを生けることすらできない
このまま萎れていくだけ・・・
手折られた花はまるで自分のようではないか

「・・・・・・泣くな」

(えっ)


「そんなに泣かれては・・・ わたしはどうしたらよいか分からなくなる」
「・・・・メンフィス・・」

「・・・キャロル・・・・・・抱きしめて・・よいか?」
「・・・・」
「少しだけだ・・。傷にはふれぬ。」
「・・・」
「・・・・・嫌か?」

かすかに・・・首を横にふる
それを見て、ほっとしたようにメンフィスは腕を伸ばした。


そっと背を起こして腕の中に包み込む

「あ・・」
「庭師にたくさん咲かせるよう命じよう」
「・・・」
「そなたの好きなものは・・なんでも」

耳元に唇を寄せて
わたしにだけ聞こえる
すこしかすれた声・・







――――そなたが・・・好きだ


愛している

そなたの全てを・・愛している・・



・・必ず治る

大丈夫だ・・
わたしが・・・・わたしが必ず治してやる・・

安心いたせ・・

絶対に治る

治らぬことなどありはせぬ。


もう少しの・・辛抱ぞ・・・







きゅっ

「・・キャロル・・・?」

一生懸命手をのばして
震えるのをこらえて動かせる左腕を彼の背中に回して

それでも
広い背中に・・やっと指先が触れているだけ・・

今はこれだけなの・・
わたしに出来ることって

本当にこれだけしか動けない

・・・あなたを抱きしめたい
あなたのそばに走っていきたい

大好きなの
わたしも・・本当に貴方が大好きよ




「・・・・・・・」


ふぁさ・・・


慎重に・・慎重に
貴方の腕がわたしの体を寝椅子にもどす

抱きしめたあと、ほんの少しだけ名残惜しそうに、背に触れていた左手をとり、きゅっと握って・・・


貴方はふっと目元をやわらかくゆるめた
せつなくて・・
さびしそうにも見える笑顔






好きよ

大好き・・

貴方が好き




「・・・・・・・メンフィス・・」


行ってしまう前に・・

「キャロル・・?」



ちいさなジェスチャーにメンフィスが気づいてくれた
唇に触れたわたしの指先に

「・・・・(ふっ)」


わたしが手にしていた睡蓮を抜き取り、彼は側の侍女たちにそれを渡し活けるよう命じた。
そして花瓶を取りに出てゆく彼女らを背に、メンフィスは唇を寄せる。


ついばむような優しいキスが何度も落ちる
ほんの僅かな間の二人だけの口付け

それが・・
嬉しかった



「やっと笑ったな・・」
「え?」
「それでよい・・ 笑っていよ。」


――ずっとそなた・・・泣いてばかりいたからな。

(・・傷の痛みの辛さからとは分かっているが・・
 また・・わたしの側に居るのが嫌なのかと思わされたぞ・・・)


さらりと頬をなでてくれていたとき、彼の目じりがピクリと動いた


「・・・もう戻ってきおったのか」

廊下の足音に軽く舌打ちして、今一度と甘い唇を掠め取る。

「んっ///」
「―――続きは協議の後だ。」

わずかに微笑んだいたずらっこな彼の顔
つられて口元がほころんだ。

「ええ・・ そうね。 ・・・・『約束』よ。」
「!」

そんな積極的な答えが返ってくるとは思ってもみなかったのだろう。
(自分でも思わずこぼれ出てしまったから驚いたけれど・・)
メンフィスはその言葉に一瞬目を見開いて、嬉しそうにより一層笑みを濃くした。

「もうしたな。」
「あ・・・あの・・あの///」
「ふん・・。よし。よかろう。」

恥ずかしさにうつむきかけたわたしの顔を顎先に指をかけてすくい上げ、囁いた。

―――辛くなったら・・・いつでも呼べ
なにがあってもすぐに側に来てやる。

「え・・・・」
「そなたが笑った褒美だ。・・・1人我慢して泣くなどわたしが許さぬ。よいな。」
「・・・・・メンフィス」

「返事は?」

額が触れるほどの至近距離で彼はわたしを覗き込んできた




気が付かなかったけれど・・・
睡蓮を活けてきた侍女たちが周りを取り囲んで見ていたの。

わたしがその時メンフィスに口付けで返事していたことを。





Fin.





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