王家の谷へ

船 旅




「王妃様〜!! はい、これ。」
「まぁ・・・・・・!!!なんて綺麗!!!」
「『蒼の雫』っていうの。わたしたちは『王妃様の瞳』って呼んでいるのよ。」
「ほんとに王妃様の瞳と同じ色なんだなぁ・・・」
「うん、本当だ・・父ちゃんが言ってた通りだ。不思議だなぁ・・本当に王妃様って真っ青な瞳なんだ」
「王妃様ってどんな風に物が見えてるの?わたしも青くみえてるの?」
「そ、そんなことは無いわよ。みんなと一緒だってば。木々は緑だし、夕日は赤いでしょう?」
「ふぅ〜ん・・そうなの?」
「ええ。」
「ねえ、ねえ、どうして王妃様の髪は金色なの?」
「さぁ・・・どうしてかしら?わたしの両親も金色の髪だったからだと思うけど・・。」
「王妃様のお母様ってナイルの女神様でしょう?じゃあ女神様も金の髪なの?」
「えっと・・・・・・・(ママは神様じゃないんだけど・・・3000年の時の向こうの話を説明してもこの子たちには分かってもらえないし――)まぁ・・そういうことに・・・・なるかしら・・・」
「すっごーい!!」

膝をかがめて目線をあわせるキャロルを、村の子供たちが我も我もと取り囲んでいた。
次々に子供らしい疑問がわきあがり、きらきらと目を輝かす姿にキャロルは思わず苦笑する。
彼女の手の中にあるのは、その子供たちが作ったロータスの花束だった。
青く透き通った美しい睡蓮。
キャロルははじめてみるその品種に目を奪われていた。

「こんなロータスは初めて見るわ・・・・ねぇウナス、この花ってナイルにあちこち咲いているの?」
「そうですね・・・たくさん群生しているのはあまり見かけませんが・・・・・探せばそれなりに見つかる花ですよ。」
「でも・・・・王宮の水辺にはこんなロータスは見たことがないけれど・・・」
「そんなに珍しいものではありませんからね。王宮の花園は王命で選りすぐりの珍しい美しい花を集めてありますから。」

この睡蓮は野の草花と同じ感覚のものであるらしい。
いわゆる雑草の水草の中にまぎれて咲いているようなありふれた睡蓮で、村の子供たちがたまたま気軽に集めてきたというところなのだろう。

「名前も素敵じゃない・・・『蒼の雫』 こんな睡蓮もあるのね・・。」
「御気に召しましたか?」
「ええ。とっても。ミヌーエ将軍。」
「・・・ファラオがお待ちでいらっしゃいます。そろそろお戻りを。」
「・・・・・・・・・・・『痺れをきらしてる』って言いに来たのね。もう少しと言っても無駄なのでしょう?」
ミヌーエは小さく微笑して、座っているキャロルの前に跪いた。
「仰せのとおりにございます。王は先刻こちらの農地でのご視察を終わられました。既に出航準備も整っております。」
「分かったわ。そうね。みんなの前で引きずられて帰るのは困るもの。」
「では・・・どうぞ。」
「ええ。・・・みんな、楽しかったわ。素敵なお花をありがとう。大切に飾るわね。」
「また来てね王妃様。今度はもっとたくさん摘んできてあげる」
「本当に?ありがとう。嬉しいわ。」
一人一人の頬や髪をなでながら、小さな子供たちと別れを告げていると、早速蹄の音が聞こえてきた。
先頭を走る黒駒に緋色のマントが翻っている。
土煙を上げながら響くその音の方向に青い瞳を向けると、キャロルは肩をすくめて微笑した。
「・・・・もう・・・・、本当にせっかちなんだから。」

「じゃあ、またね。」
馬上のその人が地上に降り立つと同時にキャロルは金の髪をひるがえした。
まるで少女のように軽やかに。“王妃”が走る・・・。
「!!!!!!!」
周囲の民たちは目をむいた。
彼らの認識では、貴族の女性は人前で走ることなどなかったから。
地面をそのまま歩くことすら高貴な女性であれば実際ほんとど見かけることはない。
それなのに・・この国の女性でまぎれもなく最高位である黄金の髪の王妃は、脇に待機していた典雅な輿に目もくれなかった。
かたやぶりな所作に、初めてこの王妃に面した人々は必ず目をみはる。
だがそれも一瞬のこと。
これこそ噂に聞いていた愛すべき我らが貴重なナイルの姫なのだと。
だれもが魅了されるというその気さくな姿を目の当たりにして、人々は笑顔をこぼす。
「王妃様!またおいで下さい!!お気をつけて!!」
キャロルはその呼びかけに応じ、駆けながら後方へ片手をあげて眩しいほどの笑顔をふりまいた。
答えるようにわきあがる人々の温かい歓声
そして、手綱を持ちすっくと大地に舞い降りた長身の貴人の元にキャロルは飛び込んでいった。

「メンフィス」
「ふんっ遅いわ!いつまでも。」
「ねぇ、見て見て♪綺麗でしょう?この村の子供たちが摘んできてくれたの♪」
「・・・・・・さあ、乗れ。」
先にヒラリと鞍にまたがりキャロルを腰から引き上げる。
心得たようにキャロルはメンフィスの首に腕をまわして抱きついた。

フワリ・・
すとん

「わたしこんな青い睡蓮があるなんて知らなかったわ。はやく帰って花瓶にいれてあげなくちゃ。いそいで戻りましょう♪」
「・・・・・・この花の為にか?」
「え?」
「わたしはそんなことの為にそなたを迎えに来たわけではないぞ。」
「まぁっ (くすくす)・・・・もちろん分かっているわよ。メンフィスったら♪」
きゅっ
「・・・・・・・・・・・」

甘えてキャロルはメンフィスにしっかりと抱きついた。
「折角の船旅ですもの。・・・・・・めったにない休暇なんだから♪ね、怒らないで。ゆっくり過ごしましょう。」
「ならばさっさと帰ってこぬか!目を離せばすぐにふらふらと出歩きおって。」
「・・・・・・・・だって・・・メンフィス、折角いろんな町に立ち寄ることができるのにわたしだけ船の中でじっとなんてしていられないわ♪」

豪華な館船が何隻もナイルの川辺に着岸していた。
その中の最も大きな船がファラオの御座船だ。
控えていた馴染みの奥宮侍女たちに出迎えられ船内に乗り込む。
「きゃっ!!」
桟橋で相変わらず危なっかしい足取りでふらつく王妃をがっしりと王が抱きとめ、面倒だとばかりに抱き上げてわざと荒っぽく渡る姿に周囲は破顔した。




小さく時折ゆっくりと響く櫓の音。
ナイルを渡る風が涼しく船内を通り抜けていく。

「ねえメンフィス、次はどの町での宿泊なの?」
「・・・・・・・ジャウティだ。」
「えっと・・・・・あ!・・・ここね?」
「ああ。」
キャロルは何かを思い出すように人差し指をこめかみに当ててつぶやいた。
「ジャウティ・・・・・ジャウティ・・・・・う〜ん〜っと・・・・現代でいうとアシュート辺りだったかしら?・・・・ナイルと砂漠の道との交差点・・きっとここにもいろんな人たちがいるわよね(←小声でごにょごにょ)・・・・・うふふっ楽しみ♪生の歴史がまたかいまみられそう。」
「???」
「それにもうすぐ有名なあの“テル・エル・アマルナ”だわ・・・わたし現代でもまだ行ったことがなかったのよ♪エジプトの美術史上でもとっても異彩を放ったアテン信仰の街・・。今の時代でどんな状態なのかは想像もつかないけれど・・・実際にこの古代の街の姿を眼にする事ができるなんて本当に嬉しいわ♪♪」

がさがさと大きなパピルスの地図を広げ、両肘をつき(謎の微笑みを浮かべながら)興味深げにのぞきこむ。
キャロルは指先でテーベからたどってきた道筋を追っていた。
テーベ・デンデラ・ゲナ・アビュドス・ジャウティ・・・
流れに沿って川を下り、ゆるゆると北上してきている。
目的地はギザ、下エジプトのピラミッド神殿。
ちょうど中流域の中間点にさしかかってきていた。
このあたりは現代世界でもかなり多くの重要な歴史遺跡が点在する地域。歴史好きのキャロルに興奮するなという方がそもそも無理というものだ。

「だいぶ下ってきたわね。もうあと半分。なんだか日が経つのが早いわ。」

出発してからずっと、飽くことなく始終はしゃぎ続けている妃を横目にエジプトのファラオは小さく笑った。

「そなたが側にあると船旅も退屈しなくてよいわ・・・」
「退屈?」
「普通3日も揺られれば大抵飽きるものだが・・。」
「どうして?こんなに毎日色々な風景が見られるのに??」
キャロルは小首をかしげていかにも不思議そうにメンフィスを見上げた。
「だって・・・・わたしはこんなに長い日数のナイルの船旅は初めてなんだもの。そりゃぁ・・・・メンフィスは何度も経験しているから見慣れてるのかもしれないけど・・・・。」
「・・・・・・・・そうだな。・・そなたの目を通せばなんでも面白く見えるのかもしれぬ。」

ナイル川に緑なす豊穣の大地、地平線まで続く平原と砂漠
ゆったりと下る船の上
のどかで平和な・・そして暑い空気にとろりと意識も溶けそうになる。
繰り返される平坦な風景
広大な大地は行けども行けども止まっているように見える気がするものだ。
ところが、キャロルの青い目には次から次へと興味をそそるものが写るらしい。

「だがな、もういい加減 『カバ』 だの 『鳥』 だのとあまり大声で船べりに乗り出すな。・・・・それでは本当に・・」
「あ!!!!見て見てメンフィス!!! ほらあそこ!!すごいコウノトリの大群よ!!(振り返りながら)・・・・・え?なに??何か言った?メンフィス?」
「・・・くっ・・・全く・・・・・」
「どうしたのメンフィス?なにそんなに笑って・・・・・???」
王が肩を震わせてこらえている。
キョトンとしている妃の顔を見て、メンフィスの笑いはとうとう押さえきれなくなった。
ひとしきり快活に笑い声を上げてメンフィスはキャロルに微笑んだ。
「落ちるなよ。・・・・・・・・・・・いっそ幼子用の紐でも船に結びつけておくほうがよいかもな。」


名目上は視察だが、キャロルの言うとおりこれは『休暇』といえるだろう。
ゆったりとした屋形船は大河に抱かれて揺れることも少ない。
特に王の乗船しているこの船内には数々の調度品も備え付けられており、まさに動く風景が楽しめる『移動亭』であった。
メンフィスは冷えたぶどう酒を口に寝椅子でくつろいでいた。
テーベからギザまで約2週間ほどかけての船旅だ。
「地方視察」ということになっているが、国内とはいえさすがに諸外国との関係が緊迫していればできない事で、“平和”であるからこそ可能となった非常に優雅なファラオのナイルクルーズだった。

「本当に素敵な青色・・・。ナイルにはこんな睡蓮も咲いているのね・・。」

小脇に置かれた幅広の水盆の中に先程の青い睡蓮が浮かんでいた。
ちょんちょんと人差し指で花弁の先端をつつき遊んでいる。
澄んだ青空を溶かし込んだような花びらだった。
キャロルがうっとりといつまでも覗き込んでいると、盆をはさんだ向こうでくつろいでいたメンフィスが寝椅子を降りて近づいた。

つ・・・・

長い指が睡蓮盆を通り越してゆき、キャロルの形のよい顎に触れ少し持ち上げる

「・・・・・・・ならば、その花、そなたの庭に植えさせよう。」
「まぁっ。」
ふれられた指先がくすぐったいのか、くすくすと青い瞳が笑う。
「それほどに気に入ったのなら池中に咲かせてやる。」
「え?」
頤をとらえられたまま、キャロルはゆっくり笑って無邪気に首をふった。
メンフィスの眉間が小さくゆがむ。
キャロルの為に何かしたくてしかたがないのにきっかけを否定されて面白くない様子・・・
「・・え・・・えっと・・・じゃあ・・・・・あの・・・・・2〜3株ほど・・・・あると・・ちょっと嬉しいかも・・・。」
「・・・・・・・・2〜3株だと?なんだそれは?・・・・・ふん・・張り合いの無い・・」
「そ・・・そう? ほら、あんまりたくさんあると、ありがたみがないじゃない。」
「・・・・・・・・・・・」
額に・・頬に・・
そして軽く唇をあわせメンフィスはキャロルを抱き寄せた。
自分を見上げる二つの青い瞳が、青い睡蓮のように美しく揺らいでいた。
見つめれば見つめるほどその瞳は深さを増す
すいこまれるほどの美しさ
まさにこの身こそ貴重なる神秘な青い花だ。

「・・わかった。・・・・・・・・・・確かに愛でるのに多くはいらぬな。」
「ふふっ・・・・・・ありがとうメンフィス♪」

この者が笑うとなんと愛らしいことか・・・・・
もっと笑え この腕の中で
口付けずにはいられない
抱きしめずにはいられない

「やんっ・・・・・ねえ、くすぐったいわメンフィス」

背をなでる指先にキャロルが体をよじらせる
猫のようにしなやかなその姿態
寝椅子にゆったりと寄りかかりながらキャロルを抱きしめ、自らの胸の中に閉じ込めた。
髪から立ち上るのは香料か・・それともキャロル自身から香る肌の香か・・・
淡く甘い・・・・・不思議なやわらかな香

「あばれるな。・・・・・・・このまましばらくじっとしておれ」
「メンフィス・・? もしかして・・・・・・・酔ってるの?」
「・・・・・うん? ・・・・・・なぜそう思う?」
「だって・・・・・・・・・・なんだか目が・・・」
「・・・酔っている・・か 」
ふっと含むように笑いながら、メンフィスはすいっと眼前のキャロルの頬にゆびを滑らせた。
「?」
「ああ・・・酔っているとも。そなたにな。キャロル。・・・そなたに触れているだけで酔えるぞ。」

「・・・・・・そなたを見つめているだけで夢心地になれる・・・・・。」
「まあっ・・・・・メンフィスったら・・・・・・。」
「誠の事ぞ。さあ、もっとそばに。よいからそのままじっとしていよ。ん?」
「もう・・」
自然と頬が熱くなる
触れる胸の温かさに体中がドキドキする。
背と腰にまわされたたくましい腕
ふと胸元から見上げると愛しげに見下ろす貴方の瞳・・・・
・・・・・・・・・そんなメンフィスの目をみてしまったらこっちまで溶けてしまいそう・・・



ゆらり ゆらりと、大河の流れに沿って豪華な玉船が進む
黄金の髪を揺らす高貴な花は、そのここちよさに王の腕に抱かれながらまどろんだ。
やわらかな背を撫で付けるようにメンフィスは静かに・・そして強く抱きしめる
それほど時をおかずして、ぱったりと彼女の抵抗がなくなった。

「村ではしゃぎすぎたか・・・・こやつ・・」

薄紅の唇が胸元で淡く寝息をたてている
遊びつかれた子供のように、安心しきって己が胸にすがって眠る無防備な彼女。そんな姿もまたたまらなく彼にとって愛しいものだった。

ナイルの船旅など、どんなに豪華で大きな船でも長時間じっとしていなければならないこともあって王子の頃は大嫌いだった。
全くもって退屈でたまらない拷問のようなものでしかなかったものが・・・今は船に乗っている時間の方がここちよくてたまらない。地上に降りてもこの船上が恋しくなる。
・・・・・そなたと二人寄り添えるこの船が。

「・・・・まことに・・・そなたを見ていると飽きぬわ。・・・・・もっと長旅をしてもかまわぬと思うほどにな。このまま時が止まってもかまわぬぐらいぞ。」


昼咲きの青い睡蓮が、そんなファラオのつぶやきに、“貴方ってばずいぶん変わったものね”と微笑むようにゆらめいていた。



Fin.


王家の谷へ

© PLEIADES PALACE