王家の谷へ 




微 笑





(嗚呼どうしよう・・・こんなときに・・)

ざわり・・と血の気がひいて、額から汗がにじむ
たえず波のように襲ってくる気分の悪さにこらえるだけで精一杯だ
目の前には黄金細工の王妃の衣装・・・・・そして王妃の冠

「もうすぐお時間ですよ。お支度はととのいましたか?」
「あ、はいナフテラ様。あとはこちらをお召しになっていただきましたら終わりです。」
「姫様、どうぞ冠を」
「え、ええ・・。」

ぐっと歯をくいしばって瞳をつむった。


ずし・・・・
天から押さえつけられるような重量感
肩に掛けられた床にも届くマント・・・ふんだんに金糸を織り込まれたそれは、まとったとたん地面に引きずりこまれるかのような感覚だ・・・。


「キャロル!そろそろまいるぞ!支度はできたか?!」
「メンフィス!・・・ええ。」
「・・・? キャロル?」

手を差しのべ、キャロルの白い指を取ったメンフィスはけげんな顔を見せた。
座ったきり、立ち上がろうとしないキャロル。
硬直したまま、メンフィスの手に己の指をかけたまま・・・・


「キャロル、さあ、ゆくぞ。どうした?」
「・・・・・・・・・・」


立てない――――――!!!

足に力が入らない!!!!


「キャロル様?!」
「キャロル!!」

「ちょっと・・・・まって・・・。大丈夫・・だから」


小刻みに震えるキャロルの指先に、メンフィスの行動は素早かった。

「い、医師をっっっ!!!!ナフテラ!!すぐに侍医をよべいっっ!!!」

即座に大音声で医師を呼ぶよう命じつけ、キャロルの体を抱き上げ奥の間へつれこむ。

「メンフィス!違うの!だ、大丈夫だから!少し気持ちが悪かっただけ・・・・・・お願いもどって!!祭儀におくれるわ!」
「なにをいう!立ち上がれもせぬのに!!そなた真っ青ではないか!どこが苦しいのだ?ええいっ!!医師はまだかっっ!!!」
「お、お医者様だなんてっ!!」
「さあ、おとなしく休むのだ」

ベッドにおろすなり、時間をかけて着付けをした衣装を躊躇もなく次々にはずし落としていくメンフィス。

「メンフィス!あ・・・ちょっと!!ねぇ!待ってったら!!!!」

ばらまき落とされた装飾品の数々・・・はがされてゆくたび、体が浮遊感を感じた。
それがいかに重いものであったかが今さらながら良く分かる
メンフィスは残っていた髪に沈む重い冠を取り上げ、額にくちづけ熱をはかった。

「ひどいほどではないが・・・・・・・・よいか、今日は休め。祭儀のことなど心配せずとも良い。神よりそなたの体のほうが大切だ。」



部屋のそとがひどくざわめいている。
王妃さまがお倒れに!!などと、騒然とした雰囲気だ。

(どうしよう・・・そんなにおおごとにされたら困るわっ!!!)

あわせて、慌しい足音をたてて、医師たちが一斉に駆け込んできた。なぜか薬師もあわせて20人ちかくもいる・・・・!!

「ファラオ!王妃様がお倒れになられたと?!」
「おお、すぐに診察にかかれ。さあ、キャロル・・・」
「メンフィス!本当に大丈夫だから!!!」
「妃のそなたに万一のことがあってはならぬ!おとなしく言う事を聞け!」
「や、やめてっ!!本当に病気なんかじゃないわ!!・・・わ、わたし・・わたし・・・」
「?  キャロル?」

とたんに真っ赤になって顔をふせるキャロルを覗き込む。

「わたし・・・ただ・・・・・・・・・・なだけで・・・」
「なんと申した?聞こえぬ?」

もうそのときには既に2重3重もの相当な数の人数がベッドを取り囲んでいた。
キャロルの言葉を固唾を飲んで耳を澄まして聞いている・・・
もう、なにをどうとりつくろっても無駄なようだ。
キャロルは観念し、意を決して口を開いた


「だから・・・・・・・・生理痛がひどくて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」




しばしの沈黙・・・・・
もうキャロルは声まで赤面状態だ。
どうしてこんなことでここまで大騒ぎになってしまうのか・・・?!
あんまりの恥ずかしさに、痛みもなにもかもすでに吹っ飛んでしまっていた。

「もうっもう・・・・メンフィスのばか」

心配をしてくれるのは嬉しいがこれではたまらない・・・。

「そ・・・・・そうか。そうなのか?」
泣き出しそうなキャロルを前にちょっと気詰まりなメンフィスだった。

「いや、しかし、体調が悪いのは確かなのであろう?とにかく今日は休め。」
「せっかくの衣装も、もうぐちゃぐちゃなのよ。・・・・・・出るにでられないわよ・・・」



今日はキャロルにとって妃になって初めての、本格的な大祭儀だったのだ。
婚礼以来の大きな行事に、キャロルは一生懸命自分の勤めをはたそうと、前日まで、いや、いま先ほどもおさらいを重ねていた。メンフィスの足手まといにはなりたくなかったから。―――なのに・・・

落とされた装飾品に手を伸ばす。

「・・・・ごめんなさい・・メンフィス・・・わたしったら・・・・・」


自分が情けなくなって、どんどんみじめになっていく。
王妃として恥ずかしくない振る舞いを心がけていたというのに、メンフィスの力になろうと思っていたのに、結局のところ自分のことすら管理できていないのだ。

キャロルは手にした精緻なブローチをぎゅっと握り締めた。

それに、立ち上がれないほどの激痛などはじめてのことだった。
王妃になったばかりで、極度の緊張のせいかもしれない・・・・・・。


ふいに、またずきり・・・と、いやな鈍い鈍痛が下腹部にじわじわと広がってくる。
肩をいからせ、うつむき気味に背をまるめるキャロル。
下を向くと、はたりとしずくが数滴落ちた。

(なんて子供なのかしら・・・・・・やだ・・・こんなことで泣くだなんて・・・)


ナフテラがその間にも、そっと周囲に指示をだし、数人の薬師を残してあとは退出させていた。

「キャロル様、メンフィス様がおっしゃるとおり、今日はお休みなさいませ。祭儀は明日もございます。今日中に落ち着かれなければなりませんでしょう・・? さ、どうぞこちらをお飲みになってみてくださいませ。」

やさしいナフテラの声・・・
差し出された暖かい薬湯のカップをメンフィスが受け取った。
ベッドの端に腰掛け、キャロルの肩を抱く。

「飲め」
「・・・・・」

コクッと口をつけ、恐る恐るゆっくり飲み干した。
カップを持つ手にメンフィスの手のひらがそえられたまま。
飲み終えて、ほう・・・と一息つくと、そよ風がなぜるようにメンフィスの唇が頬に触れて離れた。

「・・!!」
「明日だ。明日までに体調を戻さねば許さぬぞ」

言葉はきつくても、それは静かな口調・・・深い漆黒の眼差し・・・


しばらくキャロルを見つめたあとマントを翻し立ち上がり、外に控える者たちに祭儀へ出発の命を下した。
たちのぼるその風格はまさに『王者』のメンフィス。
いまさらながら、その存在の大きさに目を見張ってしまう。

その王が部屋を立ち去る前に、もう一度キャロルを振り返った。
ほんの少し口の端をあげただけのやさしい笑み

(メンフィス・・・・・・・・!)


「―――い・・・・いってらっしゃい・・・・!!」


無言で小さくうなずき微笑む。
それは満足そうに――――――。




いつまでも侍女たちの間で語り草になるほどの・・・・・極上の微笑



そしてそれを浮かべさせることができるのはただ一人―――――――

偉大なる神の娘・・我らがナイルの王妃だけ・・・・・・。





Fin.



王家の谷へ

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