王家の谷へ

天使の輪



遠くから・・・・
とりまく侍女どものキャロルへの賞賛が聞こえる

誠に・・見惚れるほどに輝いている・・風になびく金の糸
キャロルの髪は細く繊細で、櫛を通す必要がないほど艶やかだ。

ナイルに面したテラスを歩くと、水面の風が一斉に彼女を取り巻く。
妃の帰還を喜ぶのは国民たちだけではないようだ。
気持ちよさげに、ふふ・・と風の悪戯者たちに笑いかけている姿などは、まこと女神以外のなにものでもなく・・・。

朝日に煌くナイルを背景に、太陽の光を背負えば神々しいこと限りない。

「ずいぶん伸びたな」
「・・・そうね。 ―――誰かさんが怒るからちょっと困ってるの」
「困っている?何のことだ?」
「何かと大変なのよ。手入れをするのも纏めるのも。もうすぐ座ると踏んづけちゃいそうなぐらいだし・・」

そう言って両手で纏め上げるように髪を掻き揚げながらそなたが振り返る。
何か言いたげなそなたの顔
嫌な予感に片目を眇めた

「・・・ね、メンフィス、」
「だめだ」
「・・・・・まだ何も言ってないけど・・・」
「だめだ。言わずともよい。」

「・・肩下までだったら・・。」
「だめだと申しておろう!」

「う・・ほらもう・・・・すぐそうやって『怒る』から困っているんじゃないの。」
「怒ってなどおらぬ」
「怒ってる。・・・・ほら、眉つりあがってるし。」

眉間についてきた細い指先

「口もへの字」

眉間から鼻筋をなぞり唇にその指が触れる。
にっこり微笑みながらわたしの首根に腕を回して爪先立ったかと思うと
「お願い」
と・・キャロルの唇がそのまま自分に重なった。

「う・・!?」

それは・・・キャロルらしい悪戯な・・子供っぽいおねだりの口付け
妃としてから数ヶ月
ようやく自分から私を求めるようになった嬉しい仕草の一つではあるが・・
だが・・だからといってそのまま頷くわけにはいかない

「駄目だといったら駄目だ。」
「もうっ頑固者〜っ」

すねた瞳で口をとがらす

「・・・・どうしても?」
「ああ。これは・・わたしが好きだからな。」

この髪を指に梳き通しながら・・
こうしてそなたの背を抱きしめるのが・・

「どれほど愛しいか・・・・・」

抱きしめて・・その髪に頬をうずめると、どんなに気持ちがよくて、どんなに柔らかく良い香りがするかそなた自身は知るまい?

月夜のもとでは・・・また違うことも。

内から光る・・蛍のような優しい輝きをまとっていて
波打つ髪を散らして隣に眠るそなたに・・どれほど見惚れてしまったことか・・・

そなたを妃にしてからというもの・・・何度もそうして夜を明かしてしまう


「どんなものも、そなたのこの髪には換えられぬ。」
「大げさね。いつか年をとればわたしのこの髪も白くなるのよ」
「・・・そんなことはありえぬ。」
「ほんとの事よ。だって、わたしのお婆様も金髪だったらしいけれど年を取った頃ではすっかり白髪だったもの。」
「・・・・・・そなたの髪が・・・・白くなる?」
「ええ。そうしたら・・・髪が白くなるぐらい年をとれば・・あなたもわたしもきっとお揃いね」
「・・・・・」
「ふふっ おじいちゃんになったら、きっとメンフィスも白髪よ。」
「キャロル・・・・」
「でも・・・どんな感じになるのかしら?メンフィスの黒髪が白髪になったらって・・ちょっと想像しにくいわね(くすくす)」

漆黒の髪
まっすぐで癖のない・・極上の黒髪

「わたしも・・・大好きよ。メンフィスの髪・・・。天使の輪もくっきり光っていて本当に綺麗なんだもの。」

「天使の輪?」

「太陽の光を浴びると、ほら、髪に輪の艶が出るでしょう?わたしがいた世界の神様や天使達はみんな頭上に光の輪を戴いているって信じられているの。髪の艶が綺麗だとその光の輪に似ているから、これ、『エンジェルリング・・・天使の輪』っていうのよ。」

「メンフィスの場合、黒髪特有の艶やかさが本当に見事で・・・こんなにくっきり『天使の輪』を戴いていて・・・羨ましいくらい」

キャロルはさらさらとメンフィスの黒髪を指で梳ってそう語った。

「ねぇメンフィス」
「ん?」
「わたしと貴方の髪が・・白くなる日まで・・・ずっと一緒にいてね」
「・・・・なにを当たり前なことを・・」
「いいから約束して。」
「キャロル・・?」

「約束してくれたら・・・そうね、髪を短くするのは少しだけ我慢してあげるから。」
「・・・・・・・・少しだけだと?なぜ絶対に切らぬと約束せぬ!」
「だってねぇ・・・このまま床まで引きずらせるつもり?」
「それも良いではないか」
「箒じゃあるまいし・・埃だらけになっちゃうじゃないの」
「ははははは。心配いたすな。その時は宮殿中の床を塵ひとつないよう命じ磨き上げさせるまでのこと。」
「もう、馬鹿なこといわないで!」
「真剣だが?(←大真面目)」

愛しいその身を包むように抱きしめ、今度はそなたの望む答えをささやくように耳元に小さく答えてやった。

ともに年を取り・・・揃いの色の髪となっても・・・ずっとずっと離しはしない―――


嬉しそうにそなたは微笑み、そして唐突に『じゃあ、はい』と小さな何かをわたしの手に握らせた。

「これは・・・?」
「小太刀よ。」
「・・・・なんだというのだ?」
「髪を整えて欲しいの。」
「そなた!」
「なぁに?」
「・・・・今先ほどの約束はなんだったのだ?たった今切らぬと・・」
「毛先を揃えて欲しいだけよ。・・・ほかの人に触らせたらまたそれはそれで怒るくせに。」
「・・・・・」
「髪の毛一筋たりとも渡さないんでしょう? だ・か・ら、貴方に切ってもらいたいの。・・・・『貴方の好きな長さ』でいいから。」
「・・・・」
「ほんとは短くして欲しいけれど・・・・貴方のお望みどおり長いままでもいいから。」

激昂する間も与えず、さっさと後ろを向いて、ちょこんと手近な椅子に腰掛ける。

「ね、メンフィス♪お願い。」

キャロル・・・・
そなたときたら・・
わたしが拒めぬのを知っていて、そんな風に申すのだから・・・


さらり・・・


極上の黄金の糸・・・・
そなたの言う「天使の輪」というものが何重にもそなたの頭上で輝いている。
ラーの光が示すこのそなたの煌き・・・まことそなたこそ神の恵みそのものではないか。
・・・どうしてこの髪を短くなどできようか。

「このままでもよいではないか・・」
「メンフィス、あのね、髪は切りそろえたほうが綺麗に伸びるのよ。」
「・・・・・・・・・」
「毛先がばらばらだと、もつれて痛みやすいの。」
「・・・・・・・」
「枝毛だけでいいから」
「・・・・・・・」
「少しだけよ。」
「・・・・・」
「すぐ伸びるから。」
「・・・・・・・・・・ほんの・・・・・少しだけだぞ」
「ええ。」
「・・・・短くは絶対にさせぬからな」
「分かってるってば。」

物凄く慎重に・・やっとのことでメンフィスがごく僅かな毛先に刃をあてる
そっと・・・
とてもとても慎重に


(・・・メンフィスったら・・・)

くすっ


 (これからは・・・・
  ずっとこうしてメンフィスに髪を揃えてもらうことになるのね・・。)



そうしてメンフィスの手がキャロルの髪を掬い上げるたびに、キャロルは胸の内でくすぐったいほど嬉しくなってしまうのを止められなかった。

信じられないほど慎重な貴方の様子も可笑しいけれど

この指先・・・

だって・・
あのときの指先と同じだから・・・



真夜中に・・・眠っているときにそっと髪を撫で梳いてくれる貴方の指・・・

貴方の妻になってから覚えた・・優しいまどろみの中の記憶


ふわりとすべるあなたの指


触れる貴方の指先の優しさは

どんなに自分を大切に思ってくれているか・・

どんなにわたしを愛してくれているかが分かるから・・・


そんな時を感じていられる今も・・・・
ずっと一緒に過ごせることも・・・・・なんだかとても嬉しくて。



とても・・・ とても幸せで・・・。




Fin.


             王家の谷へ

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