王家の谷へ

求 婚



爪先立つその手の先に、可憐な花が咲いていた。
伸ばした指にはほんの少し遠く、手折るのをあきらめうつむく。

手にかかえるのはテラコッタの花瓶

その中にはまだなにも飾られてはいなかった・・・・・





「・・・・・・ふう」


暑い・・・
陽射しが眩しいわ



キャロルは緑の濃い中庭にいた。
仕事・・と決められていたわけではないが、気がまぎれるのでやっている。
部屋を飾る花を探しに、毎日のようにこの庭をめぐる。

庭の持ち主はこの世界の王
今、自分が持つ花瓶も、その人の部屋を彩る役目をになったものである。



べつに彼の為に・・ということではない。
迎合するつもりも全くない――――
ただ、籠の中に閉じ込められたように一室で過ごすのがたまらなくて、逃げ出しているのだ。
たとえどこかで見張られていると分かっていても、まだ青い空の下、広大な庭の中で彷徨う方が気持ちは楽だ。




王の庭に無粋な兵士は入ってこない。
侍女たちにしても、ここへ入ることを許されているのはごく限られた者たちだけだ。
特に貴族の娘で・・見目麗しいよりすぐりの身分の者たちだけ。
それの意味するところは容易に察しがつく。


そして・・・・自分が其の中にいる―――


軽く頭を振り、浮かび上がってくる言葉を抹殺した。



「わたしは・・・現代の娘よ・・。どうして・・・」



―――なぜ、こんな古代の世界にまた迷い込んでしまったのだろう・・・


ふらふらと目的もなく歩みを進めるうちに、ナイルから引き入れられている水路沿いにたどり着いた。
シャラシャラ・・と規則的に涼しげな清水が庭の隅々まで流れてゆく。

木漏れ日とはじき返す水滴が反射しあって、キラキラと美しい。


「・・・・・・・・・・・」


なにをするでもなく、ただその光が美しいと視覚だけが認識していた。


コト・・ン


手にした花瓶を地面に置き、水路の脇に腰をおろす。
美しい石を切り出してつくられた水辺。
優雅なせせらぎは、時に暑さを流す水浴びの機能もはたす。
そのため、各所に水面の下まで続く階段がつけられていた。

その階段に腰をおろし、キャロルは水面をぼんやりとながめた。
つま先にひたり・・と清涼な流れがかすめていく

キャロルはその水をつま先でチャプンと小さく弄んだ。
緩やかに波紋が広がり波を作る。青い空の色を揺らめかせながら・・。



―――このままこの水の中に流されていけば・・・帰ることができるかしら・・・



ぎゅっと肩を抱きしめている自分が水面にうつる。

怖くてたまらない―――
自分はこの世界でどうなってしまうのだろう・・・





               愛している・・・・



このまま時に埋もれて・・二度と誰にもかえりみられず死んでゆくのだろうか・・・




               愛している・・・・




バシャン!!!
「――ちがう・・・違うわっ・・・・・・・・・」



     ――――――ワタシハ ・・・・・・・・・
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ワタシハ・・・・・オマエヲ アイシテイル・・・



大きく波打った水の波紋は徐々におさまりもとの水鏡になってゆく
次第に現れうつる水面にキャロルは息を呑んだ


「・・・・・!!!!!!」


ゆらめく水鏡には二人の影が並んでいる

自分と・・・・・
水の中の自分を見つめる黒い瞳


すぐ後ろに感じる大きな大きな威圧感
風に揺られて・・地面を擦るマントの音




いつからそこに立っていたのだろう・・・

背後にじっとたたずむ青年は、水鏡をとおしてキャロルの様子を全て見通していた。
視線をそらすことも出来ず、ただ硬直したままキャロルは水鏡のなかの人物を見つめ返す。


「・・・・・・・キャロル・・・」


背後の声と、水面の影が同時に呟く
ゆっくりとこちらに近づく足音が聞こえる

コト・・
  コト・・・

この階下に降りてくる足並み
映し出される姿も次第に大きくなり、前と後ろからはさみこまれるような錯覚を起こす


キャロルは咄嗟に置いていた花瓶を抱きしめるように抱え取り、脇をすり抜けようと立ち上がった。
だが・・・そうするにはあまりにこの階段は幅が狭い―――
立ち上がり振り返ったものの、その先、迫り来る者の傍らを、身をすらせながらよけきることなど出来そうもなかった。

後ろは水辺・・
キャロルは向かい合ったまま立ちすくんでしまった。
わずかに目をそらし小さな体を硬くして、花瓶をぎゅっと抱きしめる
足元からの震えが全身に広がり、カタカタと花瓶までもがゆれている


「・・メン・・・・・・・フィ・・ス・・・・」


切れ長の瞳にほどこされた緑のアイシャドウ
ファラオと呼ばれるこの国の王の名が、震える声とともにつむぎだされた。

メンフィスは返事をするでもなく、尚もキャロルに近づいた。


触れるか触れないかにまで側にきて、伸ばしかけた手が止まる。

花瓶ごと、触れればこなごなに砕け割れてしまいそうなほど、更に怯え固まる少女・・・
その痛々しい様に、鋭利な光を宿す眼光がふいにくもる



「・・・・・・・キャロル」

まるで、自分が悪霊かなにかのようだ
清冽な純粋さは、ガラスのカケラが突き刺さるように無慈悲にメンフィスの心を切り裂いてゆく


近寄れば近寄るほど・・・キャロルは青ざめ凍りついてゆく


そんな姿はみたくない
みたくはないというのに・・・・・・





カサリ・・・


「え?」

ふいにふわりと甘い香りが鼻孔をかすめた
目の前に真っ白な花弁が咲き誇っている

手にした花瓶にそれは見事な花が差し込まれていた


「あ・・・」

それが先ほど背が届かなくてとりそこなった花だと気づいて目を見張ったとき、花に視線を落としていた自分の額に何かが触れた。


―――ほんの少し小さな音を立ててメンフィスの唇が離れてゆく


キャロルの体に指一本触れず、不意打ちのようにその額に口付けていったのだ

「メンフィ・・?!」
驚いてキャロルはメンフィスを見上げた。

その時はじめて生身の瞳の焦点が互いにぴたりと合わさる
じっと自分を見つめるさまは水面と同じ・・・冷ややかで・・冷徹な・・


彼はとても恐ろしい王なのだ・・・・残忍で情け容赦のないファラオ・・・

手の中に香る可憐な花は、その傲慢な彼が手折ってきたものなのだろうか
それが・・あまりに似つかわしくなくて・・・
このメンフィスが・・?

(・・・・・・・これを・・・私・・に・・・?)




遠くで臣下の呼び声が聞こえる。
少し前から王を探していたのか・・恐らく、メンフィスにはそれが聞こえていたのだろう。
無表情のままメンフィスはその声のする方向へ背を向けた。

ひるがえるマントの裾
はらんだ風に長い黒髪がともに揺れ、足早に遠ざかってゆく


ほっとするはずなのに・・・
でも、自分の心臓がさっきから変で・・・

鼓動がどくどくと上がりきって止まらない・・



           ――――アイシテイル・・・・・


こだまするのはあの時の言葉・・・



           ・・・・・・・・アイシテイル キャロル・・・・・



打ち消しても、忘れ去ろうとしても・・消えない言葉

お願いよメンフィス・・・
あれは冗談だと・・ただの戯れだと言って・・・



           ・・・・・ソナタヲ・・・キサキニ・・・・・・・



だれか・・この体の震えを止めて・・・・

怖くてたまらない・・・その言霊が現実となって襲い掛かってくる・・

腕の中の甘い香りも・・・
額に残る余韻も・・・
全ては真実・・・恐ろしいほど真剣な現実・・・





          ――――――・・・お前を・・・・・我が正妃に・・・・







Fin.





王家の谷へ

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