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夕 闇
T
どこか怯えながら小さな手が私をとらえた。
「どうした?・・キャロル・・・?」
「・・・・」
言おうか言うまいか・・躊躇したような口元
それでいながら「なんでもない」と首を振る。
夕日がおちてあたりが暗く闇に溶けはじめる時刻。
奥宮殿に向かう途中のことだった。
「・・・・そんな顔をして・・なにがなんでもないのだ?」
手をとり強く引き寄せると、急にほっとした表情をする。
それでもどこか周囲に怯えるようなそぶりは同じだ。
「?」
「あの・・・・ごめんなさい・・大丈夫。なんでもないわ」
ぎこちない様子に不信感は更につのり、メンフィスは足を止めた。
「・・・・・・」
「ほ、本当になんでもないの。」
「嘘を申すな。一体さきほどから何を気にしておるのだ?」
「気にしてなんか・・・」
「・・・キャロル・・・」
華奢な妃は首をすくめた。
ほんの数日前にこの手に抱いたばかりの初々しい妃。
我が掌中の珠ともいえる黄金の娘。この者の望みならどんなことでも叶えてやろうと思う。
たとえ黄金の宮殿でも・・宝石を敷き詰めた湖でも・・・・
問題はいつも思ったことを素直にすぐ口に出してこないことだ。
自分望みや希望に対しては特に。
時にそのそぶりが私の苛立ちを増殖させる。
何の遠慮がいるというのだ。
そなたはもはや誰もが認める我が妃、
大エジプト帝国の王妃だというのに・・・・。
「言いたいことがあるのなら何でも申せ。一体どうしたのだ?」
「べつに・・・なにも・・・」
「キャロル・・・」
彼女は困ったようにうつむいてしまった。
なんでもないと言いながら・・どこか不安そうな瞳に胸が疼く。
その思い悩む何かを・・わたしが拭い去ってやりたい・・
辛い出来事ばかりをその身に抱えてきたそなたに・・この世の最高の幸せでつつんでやりたいのだ。
「ごめんなさい・・心配させちゃって・・・」
儚く微笑むそなたがよりいっそう胸の奥を突き刺す。
「・・・・メン・・!!」
何かを言うよりも先に体が反応した。
大切な・・この世で何よりも大切な存在を胸の中に抱きしめる
壊れてしまいそうなほど・・細く小さな体を・・・・・・
どうしてやればよい・・・?
キャロルの中に宿る不安を消し去ってやるために、今・・・・だだ抱きしめることしかしてやれないことが口惜しく、メンフィスは秀麗な顔を曇らせ唇をかんだ。
はじめわずかに身じろぎはしたが、キャロルはそのまま大人しく体をあずけていた。
腕の中の・・・キャロルのあたたかい柔らかな感触に思わず酔ってしまいそうになる。
そなたが愛しい・・
何にもまして愛しい・・・
黄金の髪が夕闇に浮かび上がり、体からくゆりあがる甘い香りが愛しさを募らせる
さぐるように柔らかな頬に口付け、そして淡く開いた唇を求めた。
素直にされるがまま身を寄せる妃
我が思いのまま・・・我が望むままに
夢にまで見た 甘い現実―――
思わず力を込めて・・この今の時を確かめたくて・・砕け散りそうなほどきつく・・白くたおやかな体を抱きしめた・・。
そうして回廊に佇んだまま・・・・夕暮れが闇へ変わってゆく・・・
夕刻の砂漠特有の冷えた風が、ゆるゆると長い黒髪をゆらして通り抜け出した。回廊の灯明もこころなしか強く揺れて、二人の足元に幻夢な影を浮かべる。
砂漠の夜風ははじめ心地よくても急激の気温差がおこる。あまり体によいものではない。慣れていない者には特に・・・。
メンフィスは妃を守り包もうとして肩にかかるマントを腕にからめようとした。
冷ややかな風に混じってふいに震えるようなかすかな声が聞こえだす
胸元ですがりついていた細い指が急に背にまわされて・・・
「・・・な・・・・・・!!・・・キャロル・・?」
しがみつくように泣きじゃくっている・・
あふれかけていた水が堰を切ったかのように・・涙がこぼれ落ち止らない・・
「キャロル・・・・・・・・な・・・・泣くなキャロル!!」
声を殺して、肩を震わせながら・・・・・
怯える小さな儚い姿の娘をどうしてよいかわからない
「キャロル・・・・キャロル・・?ほんとうに一体どうしたのだ・・」
いっそう強く近くに引き寄せ、頬に手をかけ顔を上向かせた。
蒼い瞳が涙でいっそう潤んで耀く
こぼれる涙が闇夜に砕け、切なく光り散っていく
「キャロル・・・」
「やだ・・・ひどい・・顔・・・・してる・・わたし今きっと・・・」
ときおりしゃくりをあげながら、声を詰まらせ顔をそむけようとする。
だが、メンフィスは視線をはずすことを少しとして許さなかった。
真っ直ぐにキャロルの瞳を凝視し、尚もキャロルの涙のわけをしりたがった。
あまりに愛するがゆえに・・・その愛する者の胸のうちに自分の分からぬことがあるのが許せない。
「なにが・・そんなにそなたを嘆かせる・・・?・・・・・故郷のことか?・・・・もしや・・・・・」
静かにメンフィスの中で苛立ちの炎が燃え広がりだす。
胸をじわじわと苦しめる、耐えがたい感情・・・
キャロルのなかで大きな位置を占める過去の残像
どれほど命じても、キャロルはそれを捨てることはしない。
消し去ることが出来ないならば・・他のことを考えることができぬほど私を愛させれば良い事と・・思い切るつもりだったが・・
それがまた、鎌首をもたげて我が妃の気持ちを揺さぶっているのか・・・
「違う・・・・違うの・・・」
メンフィスから発せられる険悪な苛立ちの放電を咄嗟に肌で感じ取り、キャロルは急いでかぶりを振った。
抱きしめるメンフィスの腕が無意識にこわばりキャロルを締め付けるから・・・・キャロルにはメンフィスがなにを思ったのか瞬時に分かってしまう。誤解させていることも・・・メンフィスが過敏に自分の家族・・特に長兄ライアンのことにこだわっているだけに・・・。
「では何だ?」
低く、苛立ちをはき捨てるようにメンフィスはキャロルを問い詰めた。
「なにをそんなに震えているのだ・・・・・・・」
大きな掌でそっと頭をなで、小刻みに震えるキャロルの体を包みこむ。
先ほどおもいきり泣きじゃくったせいで、なかなかしゃくりあげる状態が体から抜けずにいる。
「―――わたしに全てをゆだねればよい。何も心配することなどはない。そなたはこのわたしの妃なのだから・・・・安心いたせ。よいな・・・だから泣くな・・キャロル・・・・・」
「わたしの腕の中で・・・・・・いつも微笑んでいよ・・・・・泣いてはならぬ―――」
「笑え・・・」
頬をつたう涙を親指で拭い、唇を寄せる。
あふれる涙をその口に受けとめた。
――――――婚儀のときと同じように。
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