王家の谷へ               

Presented by みんみんまま様


恋 物 語
〜 蓮花の蕾が香るまで 〜

 



「まぁ、本当に似合うこと」

女官長と呼ばれていた女性が嬉々としていた。
先刻、主が連れてきた娘を宴に出すべく飾り付けている。
突然、獣のように抱えられてきた娘の気持ちを思い、惨めな思いをこれ以上させないようにと着飾らせるつもりだった。
・・・がそれは杞憂であった。
この娘には華美な装飾品など必要は無かったのだ。
娘の持つ黄金の輝き。雪白の肌。蒼の玉のような瞳。
その存在そのものが清らな輝きを放ち、むしろ身に着ける宝飾品のほうが光を恵まれているかのように見える。
太陽の光を受け熱風に負けず咲き誇る花のように。
彼女には真昼の日差しのような鋭い清しさがあった。
結局、重たげな宝飾品をその身から外し、たなびく白い紗に清楚な飾り帯を結わえる。
つい、柔らかな髪に触っていたくて女官長は自ら髪先に飾り紐を幾本も編みこんでいた。
それは細やかに―――丁寧に。
後は―――そう・・この娘に似合うのは蓮花。
耳の上に来るようにそれを飾り、感嘆の息を漏らす。
その間中、顔色なくむっつりと俯く娘。
・・・まぁ、あのような事があった後だ。仕方がなかろうか・・
それにしても奴隷の衣装を着ていたものをこのような衣装に着替えさせたのだが喜ぶ様子が欠片もない。
釈然としないものを感じ心に棘刺す。
女官長の暦なる経験において通常、奴隷がこのような場所に連れて来られたら大喜びではしゃぎまわる。
上流の者の目にかかるかもしれないと。賎の身の上を曝け出す。
この娘なぞ、上手くいけばあの御方の寵愛を得られるかもしれないというのに。
女ならわけても身分が無い者ならば、どんなにか。
・・・・・・?
よくわからない娘だこと。
そうだ。
もしや自分の立場がよくわかっていないのかも知れない。
説明してやらねばなるまいか。
その手弱女と呼ぶにも幼い雰囲気を醸す娘に手を添え、話しかけた。




「ファラオはずいぶんあなたがお気に入られたようです。宴では隣に座れることになりますよ」

言外に嬉しいでしょう?という意味含みであった。
が、娘はぴくりと身を竦め、ついで激しくかぶりを振って否定した。

「行きたくない。あんな人、大っ嫌い!!傍になんて行きたくない。私を帰して!還りたい!」

胸の裡に秘めていた言葉が唇を遡る。
還せとは奴隷村ではなく家族の下へであったのだが・・・娘の苦鳴はそこに居た誰にも理解されてはいないであろう。
ついぞ我慢を重ねていたものが喫水を越え決壊したかのようだった。

・・・・いけない。だめ!!

自分を支えていられなくなる。これ以上しゃべってはいけない。
あの男に、あんな男の従者に情けないわが身を晒すのは耐えられない。
自分の尊厳にかけて。

必死だった。
叫び、泣き出すのかと思われた娘は突然沈黙し、眼差しをも閉ざす。



戸惑い嘆くばかりのその娘。
そして女官長たる自分――ナフテラ。
そうナフテラまでもが混乱を極め戸惑うばかりであった。
あの御方を拒める女人なぞおろうか?今までその様な者なぞおったか??
現の神よと讃えられるあの美しきファラオを。
外見と同じくものの捉えようも我等とは違うのであろうか・・・
名前さえも風変わりなこの彩なす容色を備える少女。
・・・主は奴隷と言っていたがそのようなはずは無かろう。
湯浴みを手伝い、彼女の肢体を見て疑問が浮上する。
傷一つ無き真白の娘。彼女が奴隷であろうはずは・・・・
しかし、わからない。
ミヌーエもこの娘を見知っているようだ。あの息子はどう感じているのだろうか?

「さぁ、そろそろ参りましょう。宴はもう始まっていますから」

主が面白がっているのはわかっていたが差し出さないわけにもいかなかった。







「さぁ、今日はどれにしましょうか?」
「・・・・・」

何組か並べられた衣装。
娘に見せるべく、広げられている。
答を返すことなくあらぬ方に神秘の蒼珠を向ける。
砂漠の苦役より連れ戻され奥の宮殿に留め置かれた少女。
気がつけば女官長が先立ち寵愛される娘の世話を甲斐甲斐しくしている。
日長、付かず離れず傍にいるようになる二人、女同士気心を打ち解けさせるようにもなっていた。
彼の人に乱暴な振る舞いをされそうになると自分に縋るような瞳を向けていることもある。
助けなど与えられないことを本人も女官長も身に沁みて分かっていた。
それでも尚、縋ってしまう娘の瞳にいじらしさを感じずにはおられない。
周りの者の中において自分を一番慕ってくれているようで面映い想いがこみ上げていた。
・・・・が、ナフテラが問うもこういった会話には彼女はついぞのって来ない。

「では、これを」

用意した衣装を他の侍女と共に着付けていく。
自分一人で着衣したいようだが、それもままならないようで素直に身を任せている。
しかし、相変わらず豪奢な装身具を身に着けるのには拒否の言を発する。

「・・・・侍女の服が欲しい」

初めて衣装を強請る声がか細く発せられた。
だが、それは叶えられよう筈はない。
ナフテラは自分に向けられた青い瞳に優しく首を横に振った。
本人も拒否されることは分かっていたようでまた何も言わずに目を逸らした。



未だに自分の地位を立場を理解していないのだろうか?
彼の人にあのように求愛されているというのに。
それも妃に。妾ではないのだ。
侍女の服等、未来の王妃に与えられるべくもない。
そのような格好等、望まれていないのだ。あの方は―――
彼女の照り映える麗しい姿に似つかわしい美々しき装い。
・・・なんでも望みは叶えるようにと言われている。
宝飾品も衣装も何もかも好きに使えと―――望みのままに。行く様にでも。
主が初めて見せたこの求愛振り。
――――彼の人らしい強引な粗暴さの中に見え隠れする情に長年そばに仕えるナフテラもうろたえるばかりであったが。
傍に長く勤めた自分だからこそ、かつて見せたことの無い情動に彼の本気の恋を・・・愛を感じ取ったのだった。
しかし、娘にはわからない・・・・伝わらない。
あまりに性急な求愛に益々うろたえ、頑なになるばかり。
いままで自分が経験した恋愛も参考には全くならず誰の助けも求められない。
酷薄な一面ばかりが強烈に印象に残り、優しさとはかけ離れた彼。
時折見せる優しさの一片に気付く余裕なぞ到底もちえない彼女だった。
願いならなんでもといわれながら、本心望むことを口にすれば無視され、拒否される。
それでいて欲しないものばかりを浴びるように与えられるのだ。
そんなものはいらない、欲しくない、結構よという否定の気持ちばかりが黒々と、とぐろを巻き鎌首をもたげる。
彼の人の“愛”そればかりではなく与えられる何もかも・・・身に纏う衣(きぬ)さえもを放り出し逃げ出したい。
・・・・求愛を拒む想いは日毎、いや増していた。



着替えを終えた彼女は朝日を水面に映す河のほとりへと出て行く。
家族を想い、懐かしさに身を浸すために。
思い出の中で自分を慰撫するために。
彼の人の前では家族を思い出し、懐かしむそんなことすら許されてはいなかった・・・
ほとりへ・・・・
少しでも、僅かなりとも家族の近くへ・・少しでも・・・・・
心が急き足早に庭園を過ぎり、寄せ来る波間の端近へと歩む彼女の耳に・・・何か?―――――


・・キュウゥ・・ン・・クゥン

思わず身を屈めて玉の朝露を載せてきらきらと輝き、色濃く織り成す草葉の陰を探す。

―――――いた。
かわいい・・・
子犬だ。母親犬に抱かれて身を寄せ合うようにうずくまっている。
そのふくふくと暖かな存在。
憧憬を感じ、思わずそっと手を伸ばす。
その子犬を見つめる目元が・・・口元が。
我知らず微笑みの象りを成していく。

笑みの主は気がつかない。ここに来て初めて自分が柔和な彩を装ったことに。
しかし、それを垣間見る人は知っていた。

・・・笑っている!なんと・・・

傍らにその身を置かせおもう限りにしてみても頑なな心はついぞほどけた事はなかった。
いや、ますます頑強になっていくばかりだったのだ。
思わず歩を進めると気付いた彼女からふっ・・と笑みは消え失せた。
不満げに秀麗な眉目をしかめ、彼はもらす――――

「笑ってみせよ――――」

笑みは戻ることはなかった。
自分に視線を合わせようともせずに膝を抱えるようにしゃがみこむ娘。
その娘に問いかける。

「贈った宝玉をなぜ付けてみせぬ?」

あれらを身に付け、自分へと微笑んでくれたら・・・・どんなにか美しかろう。
違う。違うのだ。この娘には宝玉ではなく・・・笑みこそが似合う。
ただ微笑んで欲しい。柔和な笑顔が見たい。自分へと。
そして我が元に自らの意思で寄り添うて欲しい。

如何にすれば・・・?

この黒土一番の有権力者の願いは未だ叶うことなき。
天上人も恋の前には愚かなる凡庸人に過ぎない。
人を泣かせることは強要できても笑わせることは・・・・
天上人だからこそ知りえない。人の目線で感情を読むことを。
今まで一方的に見下ろすばかりで思いやることなぞなかった。
ありえない・・・・エジプト帝国のファラオがそのようなことをすることなぞ。


もしも、彼にわかっていたのなら―――――
宝玉よりも花を愛でる彼女には強い抱擁ではなく優しい言葉こそが心を開かせうる鍵となりえた、そのことを。
硬く閉ざした彼女の心は強く激しく揺さぶるほどに怯えて竦み錠を鎖す。
それが何ゆえそうなるのかを誰ぞ教えはしなかったのだろうか?
幾千、幾万の民人の頂点に立つ彼の人に・・・教授せすめる者はいなかったのだろうか・・・・
いたとしても彼に聞く余裕なぞなかったろうか?
逃げ惑う彼女を手中に納めんと気ばかりが先駆する彼には―――――
彼はひたすら彼女へと己の愛を贈り続けることにより“愛”を誇示する。
彼女はそれを防波堤に受け止め、彼のまったき姿を見ようとはしなかった。


日取りも決定され、婚儀を控えながらも諍いの一向に絶えない二人。
通い合わせたはずの彼らの恋情は未だ手を掠めるように間合いを保っていた。
危うい均衡の上に成り立つ関係。
緊迫した愛に彼女は疲弊し、またしてもその腕を掻い潜ろうとして捉えられた。
自由ばかりではなく笑顔すらも失う彼女。
強張り怯えた娘のかんばせを見せ付けられる彼こそが認めぬであろうが疲弊し神経を磨耗させている。




信ずる絆を諸共に見失っていた。

・・・・何が不満だ?
なにが!何が不足だと申すのか・・・・・!!

ここに至ってすら、未だ己を拒み、何を贈ろうとも喜ぶこともない。
彼が知りえた人間関係とはかけ離れた彼女。
広がる二人の余白。
彼女の言動・行動にまったく理解を示さない彼。
いや、示さないのではなく・・・・わからないのだ。
財も権力もなにもかも手にしていると他人(ひと)に崇められている己に何が欠けているのか全くわからないのだ。
その不足こそが彼女の不満の原因・・・最も欲しているものだというのに。
必死に言い募る彼女の言葉を理解しようとしてもあまりに二人の世界観、倫理観が違う。
本意を汲み取ろうとするも理解の範疇を超え焦燥が募り行くばかり。
重ねた努力が甲斐の無い結果に収まると今度は怒りばかりが込み上げる。
激情の的にされ、震え慄く愛されし者は自然、心がすさみ離れ行く。
この彼女も彼が自分を理解しようとこれ程に尽力していることに気付いてはいなかった。
全く気付かぬから・・・心がともすると離反しそうになる。
心変わりなぞ許さぬ彼は殊更に激しく彼女の愛をせがむ。

わたしを愛せ。わたしのことだけを考えろ。他はいらぬ、そなただけが欲しい・・・

怖い、怖い、恐ろしい・・・


悪循環の轍を踏み続ける二人。
堂々巡りを繰り返す。


憤怒のあまり愛する彼女に手を掛けてしまっても、結局 己の思い入れの深さを自身に突きつけたことになったのみ。
真に傷つけられたのは・・・・・血を流して傷が膿んでいるのは己自身の心。
その傷口を癒すことができるのは・・・・触れえることができるのは彼の女性だけ・・・
思うにまかせぬ娘―――――
手放すこともままならず、力で捩じ伏せ沿わせようとする。
反抗する娘――――
意味無く日々が費やされていた。

誰よりも恵まれた筈の衣食住。
したが心は乾ききり、飢餓が増していくばかり。
これだけ思い煩う悩みが今までにあっただろうか?
傍目から見ては何よりも誰よりも輝く羨望の存在。羨まれるべき人。
見上げる人々の眼からは彼の不足なぞ想像もできやしない。
真円をなす玉のような瑕一つ無き完璧さ。
完全なる己にこれほどに焦燥を与える・・・・
朝日の中 目覚め、夜降り行く星々を飾る帳が下りる中 眠りに付くまで彼を悩ませる。
誰よりもいとしい娘が我が手にいなくなる・・・・終始恐ればかりが彼を襲う。
・・・・悪夢を携える夢魔になりて益々彼を侵食し安らかな憩いの場である“眠り”さえも侵される。
どう扱えばいいのか途方にくれながら五里霧中で模索し錯綜を続けていた―――




そんな心乱れた日々の続いた、とある日の事。
視察の帰り道、立ち寄ったナイルのほとりにて・・・・
猫を見つけた。
柔らかな毛並みの真白の身体。くるくる動く まあるい瞳。どこまでも和らげな印象を放つ。
邪気を感じさせずに足元に近づき愛撫をねだる。
彼の爪先にふうわりと足先を置く。そのぬくもりのこもった仕草、鳴き声。

「ふぅむ・・・」

何かを・・・・・誰かを彷彿とさせる。
・・・いや、あやつはこのように擦り寄ることなぞせぬな―――――
それでも猫の瞳の中にいつぞや見たナイルのほとりでの彼女の仕草、笑顔を思い出す。
心の襞の奥にある琴線を撫でるようにして優しい光が零れる情景を回想させられていた―――

真白の毛玉をなんの気なしに捉えて王宮へと連れ帰る。
まるでDeja−vu・・・・・いつかみた光景。
あのほとりであの日見たあの笑顔をもう一度見てみたい。
尚且つ、娘を捉えた日のことまでが重なり思い出されていく。
そう・・そなたも初めはわたしの捉えた獲物だった。
息を付く間の数瞬後、黄金の帳に囲われたのは己の方であったけれど・・・・
美しき狩人。
美しき獲物。
美しい一対・・・・
細い爪をいっそう尖らせてしなやかな全身で束縛を拒み、身を捩った娘。
一つ一つの所作までが彼の瞼に鮮明に映し出される。
もしや彼女も自分と同じ思いに触れえるのではないかと侍女に猫を届けさせた。
・・・・・その直後にまた言い知れぬ不安が彼を襲う。
己には甘美すぎる思い出。
彼女にはどうであったろうか?
・・・捨て去りたい記憶であろうか?
それとも??




いつもの贈り物のごとく無反応が返るのかと思いきや・・・・
黒い双眸に娘の姿が映りこんだ次の瞬間、白のかいなの抱擁を受けていた。

「ありがとう。嬉しい!!」

走り寄り来た娘。いきなりの抱擁に瞠目する彼。構わず更に続ける彼女。

「あの仔ね、とっても可愛いわ。本当に嬉しい!ありがとう!!」

頬をすり寄せ胸にむしゃぶりつくように縋りつき謝辞を述べる。
常日頃、他者によりて謝辞なぞ受けなれている彼ではあったが・・・・あったはずだが。
単なる儀礼に過ぎないとしても彼女の唇から紡ぎでる言葉の音は・・・彼の耳朶にこんなにも甘やかに反響する。
満開の笑の眩しさに次は目をくらませ自体の収集を己の中で図っていた。
今このとき程、己の褐色の肌をありがたく思ったことはないであろう。赤面した表情を見られたくはない。
何事なのかといううろたえをおくびにも出さぬよう努力を重ねて言葉を返す。
優しい抱擁を返すとともに。

「思い出したか?嫌では・・・嫌ではないのか?・・・を嫌ってはいないのだな??」
「?」

・・・・何のことだろう?一体??・・・・なぁに?
見張られた瞳がきょとりと疑問符を投げかける
彼はこの刹那、彼女の瞳に答えを得た。
どこまでも続くかと思えた暗雲たれこむ闇夜色に染まった空。
その雲間から降り来る天の御使いを受け入れた。
青と金で縁取られた天からの授かり者を―――――
彼はそれを確かに捉えたのだ。
彼女の望み・・・答えを両の腕で抱き留める。


娘に贈られし、獣の仔。
獣故の牙と爪――――それを以って恋人達に差し挟む障壁に傷をなしていく。
それは微かな糸のごとき線に過ぎなくても確かに風穴を穿つ。
瑣末な微小な傷跡―――段々侵され、堅固な要塞ほどにそれはきっかけと為しおえる。
いずれ彼女の築いた防波堤の防護壁をも決壊させ崩壊させるべく。

真昼色した女神の娘と闇夜色したエジプト帝王・・・・・
差ほどにも接点がないかに見えていたが二つの魂が今繋がった。
あまりに違いすぎるから・・・・だからこそ惹かれ焦がれた真昼の娘。
手の中に落ちた。
不敵に笑みを浮かべる。

・・・・覚悟いたせ
・・・・・・・我が手に捉えし獲物をもう逃すことなぞしはしない。
そのような無様な醜態はもう見せぬ。

少年王の微かなつぶやきは少女に聞こえていたのだろうか―――――

ここより新たに二人の恋物語が始まる。
時を越えて結ばれし者達の悠久なる恋の物語が――――――




Fin.




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