王家の谷へ
Presented by みんみんまま様
『萌しの季節』
姉とも慕った女性に、無理やり連れ浚われたのは・・・・
最果ての闇の坩堝だった―――
ここはどこだろう?
何処??
そよとも動かぬ澱んだ空気。
自分を浚った女性の黒髪が白い首筋に絡まる。
ねっとりと纏わる闇の漆黒に似て、手にも身体の中までも どんどん侵食し濃さを増す。
緑なす黒髪は孤独の闇へと変貌していった。
誰もいない。
何もない。
あるのは青い瞳にこびりつく闇、そればかり。
そして恐怖。果てのない ――――
足掻いても もがいても抜け出せない・・・・
まるで揮発した水のように、彼女の存在はあるべき場所より消え失せていた。
水滴はおろか手を濡らす水のそれすらも、いずれは乾き水分を失う。
いつの間にか失った水分のように、気がつかぬうちに彼女を失くす。
自身の喪失。
わたしがわたしでなくなる?
わたしがいない??
ふいに瞳を開けた彼女は汗に塗られ、宮殿の―――自分に与えられた一室にいた。
昨晩 初めて休み、初めて目覚めたこの見慣れぬ寝台の上に身を起こす。
現実を一つ一つ、思い出していく。
思い出したくないことばかり・・・・・・
塗炭の苦しみに喘いで目覚め、現の世でも辛く惨めな一日が始まった。
また、始まる。
どうなるのだろう―――――
部屋の庭に面した階段に出る。
金の髪に朝日を反射させ、眩し過ぎるような少女。
その少女の面差しのみが不安に翳っていく。
身体に感じる爽快な風が・・・・
自分の置かれた世界を無情に知らしめていた。
朝の関門は――――身支度。
昨日の宴の前と同じく、一人で衣装を着けるのは許されなかった。
風をはらむ仕切りの布にぼんやりと視線を這わせ、時間が経つのを待つ。
その最中、耳に入ってくるのは
衣擦れの音。
目に入るのは
珍奇な獣でも見るように自分を扱う女官達。
互いに視線を交わすことも避けているようで、数人の女官に取り囲まれながらも孤独な思いをする。
それでも我が身を晒している少女は人目を意識しないではいられない。
意識すればするほど・・・・味方の誰もいないことを痛感する。
身体をしげしげと物珍しそうに見られることに、辟易しながらも手を借り、着替えをすませた。
「ありがとう-----」
礼を告げた少女への無言の応酬。
誰も何も言わない。
目を合す事すら拒まれる。
多くの人々に囲まれているほうが孤独を感じるというのは、こういうことか?
心細さに身の置き場がない。
このような もの思いをしたくない、こちらの衣装を着慣れようと思う。
が、着慣れる必要などない、自分は即刻 帰るのだと思いもする。
一体この身の回りを囲う女性達・・・女官の視線はなんであろう??
感じるのは――――親切心?
違う。
そうではない。
ただ命ぜられた仕事をこなすということ、そして・・・・侮蔑―――。
奴隷村から連れて来られた我が身への蔑み。
そう・・・それ。
少女は自尊心を傷つけられるばかりで気がつかない。
周りの女官達の心には羨望の想いを根底に秘めていた。
見詰め過ぎるのも仕方がなかろう・・・か。
生まれながらに民草の肌は日差しに焼かれ、余すことなく焦げた肌をもっている。
この国に住まう者ならば幾許かでも陽を避け、肌の黒ずみを最少に留めようと努力する。
褐色が薄いことが高貴の証でもある。
あの王姉の持つ肌の美しさにいつも見蕩れていた。
瞳を合わすことを憚り、盗み見てはため息を打つ。
典雅なものよと思っていた、昨日までは。
そうであったのに。
この奴隷娘ときたら蓮の花びらのように肌理細やかな肌を持ち、七部咲きの白蓮のような色白を保っている。
湯浴みの後の彼女の肌を滑る水滴は、いつまでも葉上をころころと転げているような・・・まるで天空から下された朝露。
芳香 芳しい蓮葉のごとき肌。
娘の次に我が身をみれば、まるでざらざらと分厚い麻布のようで。
瞳も真黒に塗りつぶされた己達の物とは違う。
澱むこと無き水の色。
憧れの大河、ナイルのように。
空を映したナイルの色。
ナイルを映した空の色。
その蒼さを取り込んだ瞳をもっている―――――
髪といったら、またどういうことだろう?
一体どうしたらこんな色に染められるのか??
もし、教えてもらえるのなら身代に代えてでも教えを請うだろう。
金を溶かした清冽な日差しの色。
金を梳きこんだ とろりとした絹の細糸。
少女の前に立つと知らぬうちに己が影になっているようにすら思え疎ましい。
娘の容色だけでも嫉妬甚だしいのに、ナフテラ様のご用意されたこの衣装!!
奴隷であろう??奴隷なのに・・・・・・
この極上の衣は・・・・・・・!!
風にそよぐ極薄のリネンの品。
それに包まれるこの娘は一向に喜ぶことも無い。
同性のじっとりとした視線が少女を更に舐り上げていた。
それを感じ鬱々としている間に昨晩以来の女官長、ナフテラといったか?が呼びに来た。
「あの方がお待ちです、早くおいでなさい。あぁ、髪はわたしが仕上げましょう。」
この宮殿に置かれた理由、考えたくもない現実が鼻先に突きつけられる。
やはりわたしは動物と同じように扱われるの?
『あの方』の為の珍奇な生き物のように??
絶望の色に侵されまいと毅然と振舞う。
自分の置かれた立場。
“奴隷”と呼ばれる身分。
忸怩たる思いを胸中に渦巻かせながらも、それに蓋をし、背を伸ばす。
覇気を出し、懸命に自らを叱咤する少女の髪を女官長は優しく梳いていた。
その温かな手付きにつかの間、現代の母をばあやを思い出させ――――
少女を暫し和ませるのだった。
摘みたての蓮花を飾り、頭を高くあげた奴隷娘は王の部屋に引き連れられていく。
「・・・・遅いぞ」
頬杖を付き、顔を上げずに漆黒の視線のみを真正面から合わせた彼は少女にいう。
「早く食事に致せ。視察に出ねば」
「・・・・」
「何をしている?!さっさと給仕をせぬか!!」
怒りの度を越さないように、あたふたと周りの侍女たちがファラオに侍り、食事を促そうとする。
女官長も給仕をするよう少女を見遣る。
「違う!何をしておる、其処に座らぬか!!」
その主の言葉に彼を取り巻く人々は一様に動きを止め、真意を探る。
―――――王は一体?
「早くせよと申しておるに!さっさと座れい!」
視線の先の青い瞳を持つ少女にぶつけられた言葉。
射抜かれた少女は硬直し、命令に従うことも出来なかった。
周囲の者はこれ以上の勘気に触れぬように、少女をさぁさぁと主の隣に座るよう促す。
側にようやく来た白腕をひっぱり自分の小脇に少女を置く。
‘男’の乱暴な招きに躓きながらも、そろそろと腰を下ろすと金の髪がふさりと顔にかかる。
払うのも億劫で俯き、ぼんやりと指先を見つめていると・・・
「何を考えている?!」
声と共に横から出された指で髪を梳き流され、少女の瞳に光が差し込む。
眩しさに眩暈を感じ、くらりと身体が傾いでいた。
あぁ・・・・どうして、この人はいつも怒鳴っているのだろう??
考える気力も萎えて、視線を返すことさえも面倒でならない。
今の希望は・・・・アイシスにもう一度会うこと。
会って、もう一度頼んでみよう。
もう一度会うの。
このまま、終わるなんて。帰れないなんて絶対に嫌!
わたしは帰るの。帰るのだから!!
??
遠くで声が聞こえる?どこかで聞いたような・・・・
何処だったのかしら?
あぁ・・・お願い、そんなに怒鳴らないで・・・
彼女の意識は虚空へと収縮して消えていった。
早晩、女王に“二度と帰れない”と言われた衝撃が彼女の神経を打ち砕いたのだ。
古代に引き込まれてからの日々に重なる華奢な身体・精神への仕打ち。
それでも女王に”優しい姉“に会って頼めば、帰れると信じていた。
信じて身を立てていた。
信じていたのに・・・
くたびれきった彼女の心は、権力者の怒声に尚も蹴踏され弱りきり・・・・
王の隣で彼女は不意に意識を失っていた。
「おい?!」
崩れ落ちた少女を眼下に置き、軽く舌打ちをして蒼白のかんばせを覗き込む。
以前、朝陽の中で見たこの娘の美麗さを確かめたくて早朝より呼び寄せた。
ずっと金の翼が彼の脳裏を掠め飛んでいるようで・・・
あの金の小鳥が気になって仕方が無い。
視野に入っていないとそわそわと浮き立つ。
苛立たしくなるのが何故なのか彼にもまだわかってはいなかった。
珍しい気に入りのものを手元に置き軽やかに囀らせたい――――それだけの筈だった。
深いもの思いを彼は知らない。
気を失った彼女を膝に抱き寄せ・・・・不躾な奴と独りごちる。
・・・ふんっ、まったく女など。
思うこととは正反対に彼の視線は少女の上にある。
視線を外せない――――
見惚れていた。
自然のパレットから色をのせたような色彩豊かな娘。
視線が彼女にまとわり付く、離れない。
一つ一つの少女の造作を漆黒の瞳で見つめ確かめる。
少女を襲った魔を追い払うかのように、漆黒の髪が彼女の上をはらっていた。
手馴れた風に世の女性をあしらい、小馬鹿にして生きて来た、彼が――――
自失状態の彼女を気遣わしげに覗き込み、まれに見られぬ優しい手つきで頬を滑らせ額に手をあてている。
周りの者が粗相をした奴隷を、早く王の元から退出させようとするも・・・。
「構うな、このままでよい」
彼は一向に少女を手放さそうとはせずに、稀な髪を玩び膝に載せている。
「侍医を呼んでおけ」
凪いだ水面を木の葉が落ちる。
ぴしゃんと耳に聞こえぬ音が静かな反響となり空気を揺らす。
人の心の機微なぞ、そ知らぬ貌で気にも留めぬ傲慢な男。
かの人が巻き込まれる嵐の前哨であった。
今はただ悠々と娘を抱きこみ食事を続けたのだった−−−−
Fin
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