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切 望

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「おかえりなさいませメンフィスさま」
「おかえりなさいませ」
次々に侍女たちがひれ伏す。
呼びかけられた主はそんなことにはもちろん目もくれず、奥の部屋へ足早に進んでゆく。
彼の長いストロークの半歩うしろに小走りな娘の歩みが続き、なかば引きずられるかのような感じで追いかけてゆく。
長いすそが邪魔をしてなかなか思うようについていけない。
たくし上げようにも右腕は少し前を行く彼にがっちりと二の腕からつかみ引きずられ、もう一方の左腕は白い包帯が巻かれ、そう自由に動かせるものではない。ついこの間やっと骨折の添え木が取れたばかりの腕だ。また激しい運動に流れを速くした体内の血流が内部から鈍い痛みを呼び起こし、脈打つたびずきずきと悲鳴を上げている。
光輝く黄金の髪、透き通るような白い肌―――
あきらかにエジプト人とは違う異国の容姿をもつこの娘の名は「キャロル」
だが、人々は彼女を『ナイルの娘』と呼んでいる。
近い未来に『王妃』となる、心やさしいその人へ、心からの敬愛を込めて・・・・
そしてまた、ある一面様々な畏敬の念ももって・・・。
初めて間近で眼にすることになる護衛兵たちは、決まって前を通り過ぎてゆく娘の様子に思わず目を見張る。
美しさはもちろんだが・・・その口調に・・・・・
王の名を呼び捨てに叫んで命があるのは、『女王』をのぞけば彼女くらいなものだろう。
ファラオの逆鱗にふれて骨を砕かれたとも聞いている。普通ならば・・・・
やはり女神の娘だからか・・・?
『恐れ』というもの自体、この人の中には存在しないのだろうか・・?
今もあの王に向かって信じられないほど声高に不満をぶつけている。
「ちょっと・・メンフィスっ!!! もう少しゆっくり歩いて!!!」
「・・・・・・」
「メンフィス! もう!メンフィスってば!!!!」
キャロルはすっかり憤慨していた。
ちら・・と途中一度目を向けただけで、一向に意味を理解してくれていない。
いや、反応はしている。
「い・・痛いっ」
文句を言われたことに対して、余計につかんだ右腕を力を込めて引っ張っりかえしてくるのだから。
いきなり工事現場から 『宮殿へ帰るぞ!』 の一言で駿馬に引きずりあげられ、暴走とも言えるほどの猛スピードで駆けられた後、馬をおりたその足で今度は自分の足でとてつもなく広い宮殿を駆け足だ。
エジプト王宮はとにかく階段が多い。
年に一度起こるナイルの大洪水に備えて、宮殿のどの部位においても基壇は恐ろしく高く作られているからだ。
正面の大階段にはじまり、回廊から回廊・・・・・
いったい何段あるのかと思うと気が遠くなる。
そして言うまでもなく・・・エジプトは暑い・・
そんな状況でずっと小走りで走り続ければ、最深部・奥宮殿につく頃には汗だくですっかり息が上がってしまう。体調がよくてもそうなのだ。なんて容赦がない・・治りかけとはいえ怪我人にはきつすぎるというのに・・・!そのくらい少しは察してほしい。
「ね、ねえ、メンフィスったら!!」
(もうっ!!全然聞いてないんだから!!! さっきの優しさはどこへいったのよ!!あれって単に落っことさないように抱きあげていただけだったの? )
恨めしげにキャロルは斜め前方でゆれる黒髪をにらみつけた。
腕を引っ張る強引さも、乱暴な行動もみんないつもどおりだ。
思いやりのかけらもない。
でも・・・・さっきは・・・・・さっきのあなたは違うように思ったのに・・・・・
《もっとわたしにつかまれ・・・・・もっと・・・・・!》
気のせいだったの?
なんだかとても優しい瞳だったように見えたのに・・・
ルカを助けてくれたから・・・・貴方の心が動いてくれたのがわたし本当に嬉しかった
そのせいで・・・・・・
だから・・貴方が優しくみえてしまったというの?
そんな・・・・・
そうわたしが思いたかっただけなの・・・?
「ねえ! メンフィス・・お願い、待ってったらっ!!」
息が切れる
聞こえているはずなのに振り返ってくれもしてくれない
何も変わりはしない・・・やっぱりただ・・力づくなだけ―――
(わたしったら・・勝手にときめいたりして・・バカみたい・・・・・・)
結局、最後まで進む速度はおとされることなく、最も奥の王の居室、つまり宮殿入り口から一番遠いであろう場所まで駆け足でたどりつくことになった。
ノンストップで足早に自室にたどりついたこの王宮の美麗なあるじは、何事もなかったかのように涼しい顔である。
そしてようやくつかんでいた腕をはなした。
隣でぜえぜえと肩で息をついでいる金髪の娘をじっと見やって声をかける。
「・・・・疲れたのか」
「あ・・・・あたりまえでしょう!! メンフィスの足と一緒にしないでよ。いつもこれじゃあ私絶対貴方についていけないわ!!」
「・・・それは困る」
「じゃあ、もうちょっとゆっくり歩いて!」
「・・・・・そうすれば・・・そなたはわたしの側を離れぬか?」
「え?」
「決してどこへも行かぬと約束するか?」
「な・・・なにを言っているの?メンフィス、わたしはただゆっくり歩いて欲しいって・・!!」
「そなたが二度とわたしの側から逃げださぬと約すならば、そなたの足にあわせてやろう。」
「わっ・・メ・・・・・・メンフィス!!」
有無を言わせぬぶっきらぼうな口調とともにひゅっと何かが飛んでくる。
ふいにメンフィスが手近の白い布をキャロルに放り渡したのだ。
今も尚おさまらないキャロルの息切れと額から流れ落ちている汗を見かねて「拭け」ということらしい。
その行為のせいで、メンフィスが実は今、世にもめずらしく娘に対して譲歩の台詞を発したということにキャロルは気づかなかった。
ばさっと顔面にぶち当たるかの勢いで飛んできた布を目前で受け止め、その乱暴さにまた文句の一言でも言い返してやろうとメンフィスの方をふくれっつらで見返すと、あちらはすでに我関せず。悠々自適で自分の慣れ親しんだ広いソファに座り、手にしていた愛用の長剣を傍らに置こうとしていた。
ジャシッ・・・・・・
(―――暗殺を恐れては王は務まらぬわ・・)
ゾクッ・・・・・・・
鞘の黄金装飾が妙にきらびやかに目に反射する。
(あ・・・・・)
瞬間、冷たいなにかがキャロルの全身をこわばらせた。
今背筋をつたっていったのは汗ではなかった
暗殺を恐れては王は務まらぬ―――
その言葉が急にキャロルの脳裏を掠めて・・・嫌なほどはっきりとリフレインする・・・
先程・・こちらへ帰ってくる間際に臣下に笑いとばしていたメンフィスの姿も鮮明に。
卓上に響いたにぶい音は、キャロルにはただの重量だけでない、耐え難い重さの音に聞こえた。
「・・・・・・・・いつも・・身に着けていなくていいの?」
「ん?・・・・・」
「え・・いえ・・・・あの・・・・・」
なにやら急にしおらしく小声になったキャロルの様子にメンフィスが不審に思い顔を向けた。
小さすぎる声のせいで何を言ったのかよく聞こえなかった・・・
てっきりまた、声を張り上げじたばたとこまっしゃくれた物言いをするものだと思っていたが・・・。
やけに言いよどんで、顔を曇らせ扉の前で立ちすくんでいる
なんだ―――?
「・・・・・」
青すぎる瞳の視線の先にあったのは傍らに置いた剣・・・・
「!・・・・・・・」
ふん・・・なるほど・・・
これが恐ろしいというわけか・・・。
ちり・・と胸の奥で何かが突き刺さるような嫌な感覚がうずく
(まただ・・・)
すっとキャロルへ向け手をのばす
「・・・・・・・来い・・ここへ」
「・・・・・・・・メンフィス・・」
「―――来るんだ!」
なかなか動こうとしないことに、あの嫌な苛立ちが再びじわじわと腹の底から湧き上がる
(若さも美しさも備えたそなたから逃げるような娘・・おやめなさいメンフィス)
逃げる?
キャロルがわたしから逃げる・・・
そのようなこと・・
そのようなこと・・・・・・断じてあってはならぬ!
そなたは誓ったのだ
私の腕の中で・・・
ずっと・・側にいると
息も途絶えんとしていた震える体に・・残された力を振り絞り・・その細い腕を伸ばして
このわたしを・・・求めたではないか―――!!
あの日・・・・・そなたの全てを抱きしめたはずなのに・・・・・
そなたの瞳が開いたあの時・・・・その言葉を聞いた時・・どれほどの喜びでそなたの体をだきしめたことか・・・
そなたの心も・・なにもかも・・・・
全てを手に入れたと思ったのだ
なのに・・・その凍りついたようなそなたの瞳を見るのはこれで何度目だろう・・・
そなたがわたしに向けた・・あふれるほどのあの優しい微笑みは・・・
あれはわたしの思いちがいだというのか?
そなたは私を愛したはずだ・・・!!
キャロル・・・・何故・・・・・何故これほどまでにわたしを苦しめる・・・?
ほんの少しの間でもこの手に触れていないと心が揺らいで落ち着かない
逃げるなど
このわたしが許さぬ・・・!
決して・・・決して許しはせぬ!!
たまらない苦しさが体中・・全身に駆け巡り暴れだす。
確かな何かがなければ叫びだしたくなるような、どうしようもない寂寞感―――
川面にひるがえる金の髪・・
川舟で揺れていたそなたの小さな後姿
ふりかえるおびえた瞳
わたしを拒絶する・・悲しいまでも激しい視線
・・・逃げるな・・・・・・・・キャロル・・・・
苦しい・・・苦しくてたまらぬ・・・・・この苛立ちが一体何なのか・・
どんなに振り払っても押し寄せてくる
このわたしが・・・このファラオのわたしが・・・こんな・・・・・・
そなたに・・・・・・・嫌われたく・・ない・・などと・・・・・・・・
胸をえぐられる・・・
己自身が信じられない
こんな無様な感情に・・・・これほどに虚勢をはらねば平静を保っていられない
「キャロル・・・・なにをぐずぐずしておるっ!・・・・はやくここへ来ぬかっっ!!」
声を荒げればそなたがまた怯える―――
分かっていても・・おさえられない
そなたが・・・・・悪いのだ!!! そなたがわたしに従わぬから・・・!!!!
ガシャーン・・・・・・・!!!!
ことさらに激しく何かが壊れる音がファラオの部屋から響き渡った。
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