Pyramid Y
キャロルの様子がおかしい―――
腕の中に抱きしめながら、メンフィスは言いようのない不安に襲われていた。
《勝手に部屋を飛び出し、街中で危うく群集に押しつぶされそうになったと!!》
帰り着いたキャロルを、メンフィスは耳が裂けんほどの大音声で激怒しながら叱りつけた。
《・・・・・ごめんなさい・・・・》
とにかく素直に、謝るのだが・・どこか妙に上の空なのだ。
大抵かるはずみなことをしでかしたときは、わかりやすいほどの罪悪感をあらわにして、
必死に誤ってくるのだが、今日のそれは、ひどく何かに気をとられたまま、
機械的に対応してくるように感じる。
透き通った肌に青白さが混じって、なんとなく顔色もわるい。
《キャロル・・・・もうこれ以上私を心配させるな・・・・
こんどやったら本当に部屋に縛り付けるぞ!!!私にだまって消えてはならぬ!!
聞いておるのか?!!》
ただこくりとうなずくだけのキャロルを、ぎゅっと抱きすくめ、
心配のあまりに自ら部屋まで付き添い早々に休ませたのだが・・・
あれからしばらくキャロルは寝台のなかで眠ろうとせず、瞳を見開きじっと外を見つめていた。
(どうしたというのだ・・・・いったい・・・・)
のこった政務を急いで片付けたが、その日もかなり遅くなってしまった。
食事もそこそこにメンフィスはキャロルの部屋へ訪れ、
そして今こうして、どこへも行かないように抱きしめている。
既に、キャロルは寝息を静かに立てていた。いつもどおりの穏やかな寝顔・・・・
起こさぬようにそっと頬にかかった髪をかきあげてやり、指の中で金糸を持てあそぶ。
(ただの気のせいだろうか・・・・・)そう思った瞬間だった。
「はっ!!!!」
ガバっと、いきなりキャロルが目を覚まし、緊張したおももちで周囲に目をみはったのだ。
「キャロル?!どうした?!!」
「・・・・・・あ・・・・・」
「キャロル?」
夢見が悪かったのだろうか?安心させようとして、しっかりと小さな両肩を支えこむ。
「・・メ・・ンフィス・・・?」
じっとりと冷汗もかいているようだ。
大丈夫だと軽く背をたたきながら、メンフィスはキャロルを抱きしめた。
「どうした?怖い夢でもみたのか?ん?」
おず・・・と、キャロルはその胸の中でしばらくじっとしたまま、固まっている。
「メンフィス・・・」
「ん?」
「メンフィス・・・あの・・・・」
「・・・だからどうした?」
不安そうな瞳を上げて、なにかを言いあぐねているふうだ。
かすかに淡い色の唇を震わせ、言葉をつまらせながら、口を開く。
「なにか・・・さっき私にメンフィスなにか言った?眠っている間に・・今・・・私を呼んだ?」
「? キャロル?」
「・・・・違うわ・・・・やっぱり・・・・・いまの声はあなたじゃない」
「なにを言っているのだ?」
「わたし・・・・・・・・わたし・・・・みんなが見えない人が見えるみたいなの・・」
「?」
「ルカも、あのおばあさんも、あの子のこと、全然見えていなかったわ・・・・・・。
あんなに近くに・・・はっきり目の前にいたのに・・・・・・・
しゃべっている声も、まるで聞こえていなかったみたい・・。」
「・・・・いったいどうして・・・?信じられない・・・・・ だって、わたししっかり覚えているわ!腕をつかまれた感触も残ってる・・・・・・・・・
みんなに取り囲まれたあの時、押し出してくれたのも彼だった。
なのに、だれも彼のことを見ていない・・・あんなに目立つ姿をしていたのに・・・!!」
明らかに豪華な貴族の衣装・各所にはめられた黄金の装飾・・・街中にいたら、遠めにも浮き出すような格好だったのだから。
「そなた・・・・誰かとともに抜け出しておったのかっっ!得体の知れぬ男と共に!!!」
「違うわっ!!あの男の子よ!神殿で私を助けてくれた!」
「!」
変に勘違いをして怒り出すメンフィスに説明不足だったのを補うように、
もう一度事の成り行きを、最初からキャロルは話しなおした。
うたた寝から目覚めてから、あの老婆のところへ行き着くまで。
順をおって話してゆくにつれ、キャロルの顔がだんだん青ざめていく。
宮殿に向かう輿に乗る前に、実は、キャロルは近くにいた店の者や、例の老婆にも、
その少年を見かけたら知らせて欲しいと頼んだのだ。
ところが・・・みな怪訝な顔をするばかり。
キャロルの側にいた少年の姿など誰一人気づいていなかった。
いや、そんな者はいない、キャロルだけだったと言い張るのだ。
「キャロル?」
「やだ・・・そんなばかなって思う・・・・
・・・・でも・・・わたし幽霊を見ているのかもしれないの・・・・・・・だって・・・
・・・ピラミッドに住んでるって言ってたのっ・・・・・・あの子・・・!!」
「なに?!」
「たしかあの神殿には、少年は一人だっていないって言ってたわよね・・・。
じゃあ・・じゃあ、あの子は一体なに?」
胸の中で小刻みに震えるキャロルその背を包みこみながら、はたと今までの不可思議の符号が
次々とメンフィスの脳裏に浮かび、ある可能性をつなげていく・・・
―――そんなことがありえるのだろうか・・・・?! しかしそうだとすれば・・・!!
「ちっともそんなふうではなかったのよ・・ちょっといたずらっ子な男の子・・
少しいじわるな所もあったけど、・・・そう、メンフィスが少年の頃って
こんな感じかなって思うような・・・・どことなく声も似ていて・・・
笑うと左の頬にえくぼができるの。
からかわれて私が拗ねたり怒ったりすると、すごく楽しそうに笑ってた・・・
わたし、どこかでその笑顔を見るのがうれしかったんだわ。
手のひらだって温かくて・・・・とてもあれが幻だなんて・・そんなこと絶対にないわ・・・
だから、みんながただ気づいていなかっただけだって思おうと思ったの・・・」
「でもっ!! あの子の声が聞こえるの!!どうしてか今さっきも・・・!!」
「・・・・また・・・遊びにおいで・・・・って・・・」
キャロルはメンフィスの背に腕を巻きつける。ときおり信じられないと首をふって・・・
今までのことを反芻して、なおも怯えて繰り返し同じ言葉を続ける。
メンフィスはキャロルの言うことをそのままじっと聞き続けていていた。
誰も見なかったという少年のことを、必死で説明するキャロル・・・
信じられない出来事にどう対応していいか分らず、
キャロルの頭の中はほとんどパニックに近かった。
落ち着かせるように、なだめるように、メンフィスは金の髪をなでおろし、
ゆっくりと抱きしめなおす。
そして、肩越しに静かに言った。
「―――過去の・・・王族の魂ということか・・・・?」
「・・・・・・!!!だって そ・・・・んな・・?!」
「恐ろしいか?」
「え?!」
「そなたにはどう見えていたのだ?」
「・・・・・・・それは・・・・・・・・・だから・・・ちっとも怖いなんてことはなかったから・・・・」
「ならばよい。・・・・・大事な妃を勝手に連れ出したことは許せぬが・・・
少なくとも礼は言わねばならぬな。そなたを守ってくれた事に関しては。」
「・・・・メンフィス・・・・・信じられるの?信じてくれるの?・・こんな・・・・・
わたし、凄くおかしな事を言ってるって思わないの?」
「そなたの言うことは事実であろうし、王の魂ならばまさに神だ。
神の娘のそなたに見えたとて、別段驚くこともなかろう?それに、あの場所なら・・・・・・・」
ふと何かを思い出しているような遠い目・・・
メンフィスはそんなことは当然ありうるべき事だと言うように落ち着き払って聞いている。
・・・それがキャロルにはとても不思議だった。
「――――しかし・・・・そなたが王の眠りを覚ました張本人だったとはな・・・・。」
「え・・・?」
「・・・どんな者でもそなたを一目見れば心を奪われる。
それは死者に対しても同じという事のようだ。
もっとも私とて、死ねば同じことをするであろうな。
ふっ・・・呪いをかけてでも側に引き寄せて決して離しはせぬわ。」
キャロルははっと息を呑む。
「冗談だ。心配致すな。第一、そなたをおいて逝きはせぬ。」
不吉なことを言って不安にさせたのかと思い、メンフィスはいたって明るく笑い飛ばしてみせた。
だが・・じっとキャロルは目を見開いたまま、穴の開くほどメンフィスを凝視しつづけている。
恐怖・・・ではない。ひどく意表を突かれた感で・・・・・
「なんだ?キャロル?」
「そうね・・・・・・そうだったわ・・そのとおりだわ・・・・」
「?」
広い胸の中におずおずと身を寄せて、安心したようにキャロルは抱きついた。
「ここにいること自体、不思議な事だったんだわ・・・・・あなたはちっとも怖くなんかないもの。
幽霊に大騒ぎするなんて今さらよね・・・。私ったら遥か過去の貴方と結婚までしてるのに」
「キャロル?」
なんのことやら意味がつながらず、言っている事がよくわからない。なぜ幽霊騒ぎに自分が引き合いに出されるのか?!
いつものことだが、妃は突然訳のわからぬことを言い出す。
そんな豆鉄砲をくらったようなメンフィスをみてキャロルは可笑しそうにくすくすと笑っていた。
なにかが吹っ切れたように、穏やかな微笑をたたえて・・・・。
(まぁ・・・よいか・・・)
それをよしとして、メンフィスもほっと内心ひと心地ついた。
キャロルの怯えるさまなど見たくはない。そっと手を添えて横たえてやり、守り抱く。―――もう深夜だ。少し冷えた肩に掛布を引き上げ包み込みながら、
ふと思い出したように、口を開いた。
「王族の魂なら危害を加えることはないであろうが・・・・まただまって連れ去られては困るぞ。
困ったことに、そなたはなんでも興味をもつし・・・。大体、元はといえば、そなたが勝手に
神殿をうろつくからではないか!」
「うろつくだなんて・・・!見学よ!! そ、そりゃあ、だまって行ったのは悪かったけど・・・」
「そもそも王たちの墓の前で、ぎゃあぎゃあとはしゃぎまわるからだ。
あれではうるさくておちおち眠ってなどおれぬわ。
様子を見に行こうとでも思うのはあたりまえであろうが。」
「だって・・・目にしたら興奮せずにはいられないわ!!完成当時のピラミッドなのよ!!
考古学を専攻してきた私にとっては夢のようなことなんですものっっ!!」
むきになって尖らせた唇がふさがれた。甘い甘美な口付けが繰り返される。
「どちらが夢のようだ?」
「あ・・・」
「しょうがないやつめ」
今度は押しつぶされそうなほど、強く激しいKISSが襲う。
「わたしを忘れて夢中になることなどなんであろうと許さぬ!!」
メンフィスの指先が体中をなぞって、キャロルの思考を瞬時に麻痺させた。
「誰にもわたさぬ。・・・・そなたは私だけのものだ。」
「メ・・ああ・・・」
呪文のように繰り返される言葉幾度も幾度もキャロルにまとわりつかせ、逆流する昂ぶりと共に動けぬようにねじ伏せる。
狂おしく愛しい我が妃―――
熱い思いに自制がきかず、手荒に一気に衣装を剥ぎ取ってしまう。
内側から発光しているかのような、眩しいほどの白くすべらかな肌
柔らかな体は頼りなげで、力を込めれば砕け散ってきえてしまいそうだ
「キャロル・・・・キャロル・・・」
それでも、抱きしめずにはいられない
強く・・強く、この腕の中に閉じ込めて。
そうでもしないと、この愛しい者は水の中の魚のようにするりと逃げ出し、
腕をすり抜けていってしまう気がして・・・
現に、なにか、自分の手の届かない未知なる世界がキャロルを手招きしている・・・・・・
「どこへも行ってはならぬぞ・・・・私だけの・・そなたなのだ」
たとえ何が相手であろうと、なんとしても守ってみせる・・・・わかっているのであろうか・・このわたしの思いを・・・
答えるようにキャロルの腕が自分の首に巻きついた。
絡みつく鎖のように・・・細いながらも、しっかりとメンフィスの背に、肩に、
小さな指がくい込む。
その小さな感触は、メンフィスの心に言いようもない歓喜をざわめかし
更に深い愛を注がせた・・・
呪いをかけられたのは私の方だ
愛という名のそなたの呪い・・・
そなたが消えれば、わたしは生きてはおれぬ
それは・・・そなたにとっても同じ事なのであろうか・・・・
こうして、そなたの愛が私だけに向いていると分っていても・・・
おろかにも考えずにはおれないのだ・・
キャロル・・キャロルよ・・・
愛している・・なによりもそなたを・・・
私だけを見よ 私だけを愛してくれ・・・・
他の何者もそなたをうばうことは許さぬ!
たとえそれが、大いなる神であったとしても・・・・
小さな身体を掻き抱き、祈るように唇をかさねる。
時折、我が意識を切り裂くようにキャロルが叫ぶ・・・・・・・・
身動きできないほどきつく腕を絡めれば全身からその血の脈打つ声が聞こえる。
暖かい・・・何よりそなたがここにいる・・生きている証―――
愛するたびに、小鳥のように震えるそなたの・・・命
愛している・・・愛している・・・・・・
――――――愛しい妃よ・・・・・・
・・・・・闇夜に二人の意識が溶けてゆく・・・・・・ナイルの流れに身を任せるように・・
© PLEIADES PALACE